24時間テレビとは、テレビ関係者に愛の手を差し伸べる事なのか

17/08/31更新



2017年24時間テレビ テーマは「告白」


-毎年恒例のチャリティー番組-

2017年夏「24時間テレビ40」メインパーソナリティーに櫻井翔、亀梨和也、小山慶一郎の3名が決定!!


1978年からつづく、毎年8月最終週の土曜日から日曜日にかけて日テレ系列で放送される日本のチャリティー番組です。今年で40回目だったようです。「愛は地球を救う」というコンセプトで、24時間休まずチャリティー番組を放送し、視聴者から募金を集め、過去年10億から15億くらいの募金が全国から寄せられたようなのですが、今年は24時間終了時点で1億ちょいで、前年より低調なようです。

24時間テレビ募金額


-発揮される精神論-

そして、集められた募金は障害者支援の為に、車椅子やミニバンなどとして寄贈されます。テレビメディアがその影響力を行使して、チャリティー番組を行うことの意義は大きかったのでしょう。しかし、国民の協力を得るために訴求しやすいアイドルをパーソナリティとして司会をさせたり、またもやアイドルを出演させてドラマ番組を作ったり、何の意味があるのか分かりませんが、タレントにマラソンをさせたりもしている。感動ドキュメントによる涙活か何かなのでしょうか。いやいや、とぼけている場合でもなく、こんなところにも、いまだ精神論が蔓延しているからガッカリしているのです。その「苦しみながらマラソンをする姿でも見て泣けよ!」と言わんばかりの姿勢が放送局なのだとしたら、いまだテレビマンは旧態依然とした価値観の中で生きているらしい。

外部リンク
練習後走り倒れた女子マネジャー死亡 新潟の高校野球部 朝日デジタル


-社会の公器たれよ-

番組の主旨として、メディアの社会的責任を果たす活動の一環なのでしょうが、日本国民の財産である電波を使って、24時間も放送すべきものなのか、そして、24時間テレビという番組企画によって、放送局やタレントが儲ける為の一大事業であるところが本質であり、欺瞞を感じます。

番組制作にかかる費用を放送局やスポンサーなどが負担し、なおかつ出演タレントもチャリティーの趣旨に賛同できるものを無報酬で参加させ、そのうえ、スポンサーの広告費用と視聴者の募金すべてが寄付されるのであったなら理解できる。社会の公器たり得るのだが、どうも違うらしい。

ネットを中心として反発を食らっているのを理解をしているのか、少しづつ、企画内容を変えつつ様子を伺っている。やはり、視聴率だけは気になるらしい。既に炎上マーケティングに突入しているとも言える位の感覚で24時間テレビと向き合っている人々も多いのではないか。ネットを中心に放送に対する信用はかなり低いと言える。


だそうです。



障害者視点を無視していないか


-感動ポルノでは理解は深まらない-

NHK『バリバラ』に存在意義を否定された日テレ『24時間テレビ』、マラソンより注目すべきシーンとは
昨年、『24時間テレビ』が放送された時間帯に『バリバラ』(NHK Eテレ)が放送され、その内容が物議を醸した。「障害者の感動的な番組をどう思う?」という質問に、健常者は「好き45人、嫌い55人」、障害者は「好き10人、嫌い90人」と答えたアンケート結果を出すなど『24時間テレビ』のコンセプトをぶった斬り。

感動ポルノ嫌い90人

障害者の90%見ていて苦しいと言い、健常者の55%が不快と感じる24時間テレビとは何のため、そして、誰のための放送なのか、と思う。ここでもテレビ放送が視聴者無視を続けている。

障害者頑張っている

NHK バリバラ
放送日曜 夜7:00 再放送金曜 0:00(木曜深夜)

障害を抱える人達に、ここまで言わせるなと思う。そもそも、面白い、面白くないと言うテレビ的価値観を障害者側は受け入れて、それでも尚、「僕たちに無理をさせ苦しんでいる姿を見て面白いですか?」と視聴者に問うている。見世物ではないのだよ。ショーかエンターテイメントか何かと勘違いしていないか。

ただ、これはタブー化しろと言いたいわけでもない。できる限りリアルに近いものを流さなければ、理解にはつながらないという事。それでも、まだ、お互いが受け入れられないのなら、ゆっくり丁寧に続ければいい。感動ポルノでは理解は深まらない。


-つくられた感動の出鱈目-

番組の企画内容も、障害者が抱えている苦しみを健常者視点で、いかにもな、お涙頂戴とばかりに障害者に無理くり何かにチャレンジさせ、苦しみながらも彼らなりに頑張って目標を達成させる様子を延々とカメラに収め、感動ドキュメントとして放送することに違和感を感じます。

障害者を登山させたり、遠泳させることに意味があるのでしょうか。番組を企画するときに、全国から障害を抱えハンデを持っても、なお頑張って生きている人(これもテレビマン視点で都合の良い障害者)を探し出し、無理やり数字の取れそうなことに挑戦させていることに吐き気もするし、24時間テレビの映像は意図的に作られたもので、リアルは描かれていない。数字ありきで障害者をさらし者にする事で理解に繋がるのかとも思うが、テレビマン的には「金をやるから良いだろう」なのか。募金額も年々下がっているのだが、意味することを理解できているのか疑問に思う。

外部リンク
24時間テレビ「どこかに頑張ってる障害者いないかな」 障害者宅への電話でスタッフが暴言


-高視聴率こそ正義-

24時間テレビだけの問題でもない。テレビ放送など旧媒体の出鱈目さがネットの普及により明らかになり、本来の趣旨である募金額も減らすことの原因となっている。つまり、24時間テレビの欺瞞にソッポを向いている視聴者が増えている事の現れと言える。

それでも、視聴率が取れているのだとしたら、炎上に参加したい層が見ているだけなのだろう。まぁ数字さえ取れていればニンマリなのがテレビマンなのだから、懲りるはずもないし、面白がって今まで通り続けるのだろう。これが、彼らが言う「表現の自由」なのだから。


高視聴率だけが正義なのだろう。



救われるのはテレビ関係者


-チャリティーとは名ばかり-

24時間テレビのスポンサー料は単価が高いと言われている。つまり、放送局にとって売り上げが大きくなります。通常の番組放送で得られる収入よりも大幅に増加します。当然24時間ですから旨味も大きい。そして、番組制作を担当する下請けに還元されるものも大きくなり、同様に出演タレントのギャラにも影響します。要するに24時間テレビとは関係者だけが美味しい思いをできる仕組みといえる。

しかし、24時間テレビにには明石家さんまや北野武、タモリといった超有名タレントが出演しない。どうやら、彼らはギャラなしであればいくらでも協力して出演するという意思はあるようですが、放送局側が大物タレントが無報酬であれば、下のクラスのタレントまで無報酬となり、番組が成り立たなくなるそうです。

ギャラなしでなら、ビックスリーが出演すると言っている。ならば、無報酬でビッグスリーだけで制作とならないものか。それなら僕なども24時間テレビを見たいと思う。女子中高生狙い、ジャニーズ中心の番組構成は見てられない。日本的価値観として、子供だましとは恥ではなかったのか。

週刊誌で高額ギャラの存在を報道され、最初は否定していた日テレであったが、認めざる負えない状況になっている。開き直っていくのだろうか。視聴率が取れている限りにおいて。

24時間テレビにサンマが出ない



-主なタレントの24時間テレビに対する思い-

外部リンク
萩本欽一 『だって、ギャラがいいんだよ。(指を2本立てて)コレだもん』とあっけらかんとしていたそうです。これはつまり、2000万円ということでしょうね

嵐 「5人で5000万円」などとギャラ事情を暴露

明石家さんまも「ヤングタウン土曜日」のなかで24時間テレビにギャラが存在していたことを暴露。「ギャラをそのまま募金に回してください」と言ったところ、「そうはできない」と返されたことで、それ以来、番組に自らは出演しなくなったようです。

北野武 “ヨダレ垂らした芸能人どもがめちゃくちゃ高いギャラ稼ぐくせに、これ以上貧乏人から金巻きあげんな。チャリティーっていうくらいならお前ら全員ノーギャラで出ろよ!(24時間テレビ への出演オファーに対し)”


-テレビ関係者に愛の手を-

ギャラ


タレント個人が無報酬で協力したいと言ったとこで、タレントは芸能プロダクションの商品であり、経営という観点からも無償にはできないのだろう。放送局側もタレントにギャラを払って番組作りをしなければならないのも理解できるが、放送局自身すべての経費を差し引いて得られた利益を寄付しないと、やはり欺瞞と言われても仕方がないと思う。

そもそも、やましさがあったからこそ、高額のギャラを払っていた事すら否定したのだろう。いや、払っててもいいのだよ。通常の番組を制作した方がギャラは高額らしいから。景気の良いころの話でもあるのだが、大物芸人におけるゴールデンタイム1時間番組のギャラが数百万と耳にしたこともある。画像のギャラですら安いというリアルもある。では、何が日テレの疚しさだったのか。なぜ、直ぐ露見するような嘘をつかなければならなかった。考えたくもないが。

一説によると、日テレは24時間テレビを通じて1日で20億円もの利益を得るようです。スポンサーもチャリティ番組への広告でイメージが上がるので単価の高いスポンサー料を負担しても元も取れ、高額のギャラをもらえるタレントや芸能プロダクションも仕事が増え、番組制作会社も高単価の制作料を手にして、放送局も利益を上げる仕組みです。テレビ界隈を中心に愛の手を差し伸べられているようです。



リテラシーを唱えるだけでは意味がない


-人の善意より金-

視聴者がフェイクに騙されもってきた貯金箱と障害者の苦しみで成り立ち、そして金儲けの為に作っているのがこの番組の姿ではないでしょうか。

今年のテーマは「告白」だったそうです。人に言えなかったハンデキャップを告白する。兄の子供を引き取り5歳まで育ててきた女性がその子に自分は本当のお母さんでないと告白するとか、癌をわずらい入院する子供に病名を告白するとか、何の意味があるんでしょう。いや、意味はあるのでしょうね。視聴率が取れるにおいては。


すげーなテレビ放送局。善意を無視で自分の都合ばかり。


-フェイクを見抜く力が欲しい-

テレビを中心とした、新聞、ラジオ、週刊誌などと言った旧媒体が若年層から見放されている現実をどこまで受け入れ、理解できているのか、数字が取れるからと若年層を無視し高齢者向けにフェイクニュースを流したとして、それでは旧媒体の終焉しか見えないではないのか。信頼たりえるメディアならばこそ、新旧媒体問わず生き残れるのではないのか。一時的な損得の為に動き、信頼を失い続ける事はメディアのあり方とは言えないし、ジャーナリズムとも思えない。

当然、新旧問わず物事の本質を見抜く力を養いたいと思う。


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