日本である事の価値

日本の伝統文化を保守してこその日本の真価であり、日本人が日本人たりうる...

高校野球は「道」か「スポーツ」か。モンスタークレーマーが問う。 

17/08/18更新



球児無視の議論に意味があるのか


-リベラル、炎上マーケティング-

練習後走り倒れた女子マネジャー死亡 新潟の高校野球部 朝日新聞digital

朝日新聞社お手製マッチポンプ、自作自演炎上マーケティングなのだろう。流石に球児無視で議論が空転している感があるな。ただ、僕も違和感を感じているので、少し、進めていきますね。

如何にもな「人の命は地球より重い」的なリベラル発想で云々するのは間違い。いや、高野連が高校野球は「スポーツ」であると認識するのであれば、「現実的」「合理的」「経済優先」の判断をするべき。ではなく「道」と言い張るなら、モンスタークレーマーの批判を断固突っぱねてこそ。そして、それが保守のあり方。

「人の命は地球より重い」とは......この言葉は1977年日本赤軍によるダッカでの日航機ハイジャック事件で、犯行 グループが高額の身代金と日本で服役中の過激派や爆弾魔などを解放するよう 要求した時に、時の福田赳夫首相が言った言葉として記憶しておられる方も あるかも知れません。


-スポーツの語源と由来-

女子マネジャー死亡、「呼吸」誤解? AED使ってれば
朝日新聞digital

いま一度「スポーツ」の語源の由来を確認します。

英語「sports」からの外来語で、「sport」は「気晴らし」や「楽しみ」「遊ぶ」などを意味する「disport」が変化した言葉。「disport」は中期英語で、古期フランス語「desporter」に由来する。語源はラテン語のdeportareで、deは遠くへ、portareは運ぶの意。日常から離れる、すなわち気晴らしをすることを意味し、それを経て現在のsportに至ったと考えられる。

高校野球だけでなく、日本の学生スポーツの問題ではないかと思うのです。本来の「スポーツ」の意味するところから外れていて、「気晴らし」や「楽しみ」「遊ぶ」などどこにも無い。


-精神論がまかり通る下地-

勿論、競技として野球に打ち込むわけで、「気晴らし」や「楽しみ」「遊ぶ」だけでは通用しない。多少、と言うか相当無理をしなければ、甲子園には出場できない。当然、精神論が介在する余地を与える。

女子マネージャーが所属する高校の監督に対する批判として「マネージャーに3.5キロ走らせたのが原因。 そして「AEDは使わなくてもいい」などと言ったのも原因」と言う話も理解する。

理解はするが、学生スポーツには「精神論」がまかり通る下地がある。それが「武士道」由来の「道」であり、この「道」があるからこそ「精神論」がまかり通る。


-日本人とスポーツ-

「道」の「精神性」を無視して、日本人が「スポーツ」に向き合ったとしたら、日本人は恐らく世界では、より通用しなくなる。「精神性」を無視し「物質性」を優位にするとは、つまり、現実的・合理的に「スポーツ」と向き合う事になり、「スポーツ」とそのように向き合うとは、結局「気晴らし」や「楽しみ」「遊ぶ」なのである。

「気晴らし」や「楽しみ」「遊ぶ」と言う発想は欧米のものであり、欧米の価値観の土俵で日本人が戦って勝てるのかと言う事でもある。日本人自体を「物質性」で判断すれば、欧米人に劣る。仕方ない、体格差があり過ぎる。元々、日本人は穏やかだ。そもそも、運動する事が向いてない人々なのである。

では何故、世界を相手に競技「スポーツ」の世界で活躍できたのかと言う話で、それは「武士道」由来の「精神論」がまかり通ったかによるところが大きい。

余暇を使い、楽しむところに重きを置く分には、現実的・合理的判断で問題は無い。ただ、日本人が日本人として「スポーツ」に打ち込むとは、欧米人の「気晴らし」や「楽しみ」「遊ぶ」と言う発想では通用せず、「道」で向き合わないと駄目なのだろう。そして、「精神論」な中から生まれる、非現実的・非合理的判断とは、この件に限らず、日本のスポーツの中から排除するのは難しい。


-スポーツは道ではない-

関連記事 高校野球は「道」なのか「スポーツ」なのか

「道」とはそう言うものだ。損得ではない。「現実的」「合理的」な判断など必要ない。「理想的」「非合理」でこその「野球道」。できないなら、最初から「道」などと意識高い系感覚で言わなければいいと思うよ。

おさらい
「道」.....精神性を重んじる。 理想的・非合理・唯心的・歴史・伝統・文化.....を重んじる。つまり「心」「過程」重視。「保守的」
「スポーツ」.....物質性を重んじる。 現実的・合理的・唯物的・経済・効率・文明.....を重んじる。つまり「モノ」「結果」重視。「左翼的」


-スポーツなら現実・合理的判断。道ならば....-


高校野球が「スポーツ」と言うなら、現実的、合理的判断をすべきで、例えば、肩が痛い、肘が痛いと訴えているorトレーナーが不調を察知した時点で該当選手を出場させるべきではない。学生スポーツなら尚更だ。言い訳は出来ない。

ではなく「道」と言うなら、とことん精神性を追求して下さい。



リベラルの主義主張


-女子マネージャー論争-

そもそも、「現実的」「合理的」判断で考えるのなら、女子マネージャーなど認めなければ良い。如何にもな、リベラル的「男女同権」発想で認めているのだろうが、認めたところで、甲子園のグランドには入れないのだろう。そこでは、如何にもな保守思想を発揮する矛盾。

今回の件も「女子マネージャー」は練習に参加させるが「炎天下は女子には辛い。可哀想だ」などと、どちらもリベラル的発想で対立し、混乱する間抜けさ。

まぁ、可哀相論は流石に論外ではあるか.....そもそも、こんなクソ暑い時期に屋外で真昼間に野球をやる方がおかしい。プロでもやらない事を球児には「精神論」を投げかけ、プレーさせるパラドックス。そもそも、「精神論」など、リベラルが一番嫌うものではないのか?


外部リンク
高校野球は日本の「神事」だと考えると、あの不可解さも腑に落ちる.....“おそらく「とても日本的なもの」が根本にあり、「日本的なことは、言葉で説明されることがない」という事態が重なり、奇妙な現象となったのだろう。




-高野連とリベラルメディアは「心」の「スポーツ」である-

関連記事
「巨人軍」とは「perfume」である。「勝てば官軍」とは「心のスポーツ」である。
「読売巨人軍」とは「モノ」が無い日本人を代弁した「心」なのです。
その前に「道」と「スポーツ」の説明をさせてください。「道」とは、「野球道」「相撲道」「柔道」「書道」の「道」なのですが、「道」においては、「勝つ」だけでは駄目です。己の心身を鍛えるのが「道」で「スポーツ」のように打ち負かすものでもないのですね。そして、当然「スポーツ」のように、お金と言った「物質性」の為に己を鍛えるわけでも無く、己の心身向上が全てと言った「精神性」を重んじているのです。当然、野球「道」ならば「スポーツ」ではなく、別の考え方をしなければなりませんね。


高野連とリベラルメディアの保守、リベラルいいとこ取りの、御都合主義のブレブレの姿勢が尚更、モンスタークレーマーの攻め所になっているし、ブレブレの対応をせざるを得なくさせている。

本気で思う。高野連も突っぱねればいい。女子厳禁。神聖なる「野球道」であると。中途半端な「男女同権」的なリベラル思想に毒されるから「道」すら覚束なくなる。だかこそ、保守層からもリベラル層からも、整合性を問われる結果となる。

しかしながら、女子マネージャーを加える事で、女性ファン層にも高校野球を訴求しようとする「経済」最優先の「左翼的」発想が高野連にもあり、当然、リベラルメデイアにも都合が良いのだろう。

どうありたいのか?高校野球は「スポーツ」とするか、それとも「野球道」なのか。高野連に判断が迫られている。

モンスタークレーマー武勇伝。
僕はB層だよ!モンスタークレーマーだよ!NHKまで黙らせたよ。
僕はB層だよ!モンスタークレーマーだよ!僕が日本のルール





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