高校野球は「道」か「スポーツ」か。モンスタークレーマーが問う -女子マネジャー問題-

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Bytake0606

2018/01/22更新
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球児無視の議論に意味があるのか


リベラルお手製、炎上マーケティング



朝日新聞社お手製のマッチポンプ。自作自演炎上マーケティングなのだろうか。

流石に球児無視で議論が空転している感がある。ただ、僕も違和感を感じているので、少し、話を進めて行きたいと思う。

いかにもな「人の命は地球より重い」的な、いわゆるリベラル発想で云々するのは間違いと思う。いや、高野連が高校野球は「スポーツ」であると認識するのであれば、「現実的」「合理的」「経済優先」の判断をするべき。ではなく「道」と言い張るなら、モンスタークレーマーの批判を断固突っぱねてこそ。

そして、それが保守の在りようと言えるかもしれない。

「人の命は地球より重い」とは——
この言葉は1977年日本赤軍によるダッカでの日航機ハイジャック事件で、犯行 グループが高額の身代金と日本で服役中の過激派や爆弾魔などを解放するよう 要求した時に、時の福田赳夫首相が言った言葉として記憶しておられる方も あるかも知れません。



スポーツの語源と由来



「スポーツ」の語源の由来を確認します。
スポーツ(sports)は、 ラテン語のportare(ポルターレ=ものを運ぶ)に由来したものであり、ラテン語のdeportare(デ・ポルターレ=生活から離れる)がフランスに渡り、Desporter(Des 離れる+porter運ぶ。 ディスポーター=ものを運ぶことをやめる。動詞で、はしゃぎ回ると言う意味もある)とになった。この頃は、仕事から離れる、生活から離れる、どこかへ行くことなどを意味し、カードで遊んだり、気分転換すること、楽しい感情を発散させるものであれば何でもDesporterとされた。

引用 - ニーズ創造研究所
http://www4.osk.3web.ne.jp

高校野球だけでなく、日本の学生スポーツ全体の問題ではないのかといえる。本来の「スポーツ」の意味するところからかけ離れていて、「気分転換」や「楽しみ」「遊ぶ」などどこにも無い。



精神論がまかり通る下地


もちろん、競技として野球に打ち込むわけで、「気分転換」や「楽しみ」「遊ぶ」だけでは通用しない。多少、と言うか相当無理をしなければ、甲子園には出場できない。当然、精神論が介在する余地を与える。

女子マネージャーが所属する高校の監督に対する批判として「マネージャーに3.5キロ走らせたのが原因。 そして「AEDは使わなくてもいい」などと言ったのも原因」という話も理解する。

が、学生スポーツには「精神論」がまかり通る下地がある。それが「武士道」由来の「道」であり、この「道」があるからこそ「精神論」が介在する可能性が出てきてしまう。





日本人とスポーツ


「道」の「精神性」を無視し、日本人が「スポーツ」に向き合ったとしたならば、日本人は恐らく世界の舞台では、通用しなくなる。

「精神性」を無視し「物質性」を優位にするとは、つまり、現実合理の判断で「スポーツ」と向き合うこととなり、「スポーツ」とそのように向き合う事とは、結局、「気分転換」や「楽しみ」「遊ぶ」なのである。

「気分転換」や「楽しみ」「遊ぶ」と言う発想は欧米由来のものであり、欧米の価値観の土俵で日本人が戦って勝てるのかと言う事でもある。


日本人自体を「物質性」で判断すれば、欧米人に劣る。

仕方ない、体格差があり過ぎる。元々、日本人は穏やかだ。そもそも、運動する事が向いてない人々なのである。

では何故、世界を相手に競技スポーツの世界で活躍できたのかと言う話で、それは「武士道」由来の「精神論」がまかり通ったかによるところが大きい。

余暇を使い、楽しむところに重きを置く分には、現実合理の判断で問題は無い。

ただ、日本人が日本人として「スポーツ」に打ち込むとは、欧米人の「気分転換」や「楽しみ」「遊ぶ」と言う発想では通用せず、「道」で向き合わないと駄目なのだろう。

そして、「精神論」から生まれる、非現実・非合理的判断とは、この件に限らず、日本のスポーツの中から排除するのは難しいといえる。



スポーツは道ではない




「道」とはそう言うものだ。損得ではない。「現実的」「合理的」な判断など必要ない。「理想的」「非合理」でこその「野球道」。できないなら、最初から「道」などと意識高い系感覚で言わなければいい。

「道」.....精神性を重んじる。 
理想的・非合理・唯心的・歴史・伝統・文化.....を重んじる。つまり「心」「過程」重視。「保守的」
「スポーツ」.....物質性を重んじる。 
現実的・合理的・唯物的・経済・効率・文明.....を重んじる。つまり「モノ」「結果」重視。「左翼的」



スポーツなら現実合理。道ならば...



高校野球が「スポーツ」と言うなら、現実的、合理的判断をすべきで、例えば、肩が痛い、肘が痛いと訴えているorトレーナーが不調を察知した時点で該当選手を出場させるべきではない。学生スポーツなら尚更だ。言い訳は出来ない。

ではなく「道」と言うなら、とことん精神性を追求して下さい。



リベラルの主義主張


女子マネージャー論争


そもそも、現実、合理的判断で考えるのなら、女子マネージャーなど認めなければ良い。

如何にもな、いわゆるリベラルな男女同権発想で認めているのだろうが、認めたところで、甲子園のグランドには入れないのだろう。そこでは、如何にもな保守思想を発揮する矛盾。


今回の件も女子マネージャーは練習に参加させるが「炎天下は女子には辛い。可哀想だ」などと、どちらも、いわゆるリベラルな発想で対立し、混乱する間抜けさ。

たしかに、可哀相論は流石に論外ではあるか.....

そもそも、こんなクソ暑い時期に屋外で真昼間に野球をやる方がおかしい。プロでもやらない事を球児には精神論で縛り付け、彼らの精神性の自由を奪いプレーさせるパラドクス。

「精神論」など、いわゆるリベラルが一番嫌うものではないのか?


外部リンク
高校野球は日本の「神事」だと考えると、あの不可解さも腑に落ちる

おそらく「とても日本的なもの」が根本にあり、「日本的なことは、言葉で説明されることがない」という事態が重なり、奇妙な現象となったのだろう。——
大相撲と同様で「神事」と「スポーツ」「道」、「興行」などの良いとこどりをし続けた事による矛盾と言えますね。



高野連とリベラルメディアは「心」の「スポーツ」である


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高野連といわゆるリベラルの自作自演いいとこ取り御都合主義のブレブレ姿勢が尚更、モンスタークレーマーの攻め所となっているし、ブレブレな対応をせざるを得なくさせている。

本気で思う。

高野連も突っぱねればいい。女子厳禁。神聖なる「野球道」であると。中途半端な「男女同権」的な、いわゆるリベラル、お花畑思想に毒されるから「道」すら覚束なくなる。だかこそ、保守層からも、いわゆるリベラル層からも、整合性を問われる結果となっている。

しかしながら、女子マネージャーを加える事で、女性ファン層にも高校野球を訴求しようとする「経済」最優先の「左翼的」発想が高野連にもあり、当然、リベラルメデイアにも都合が良いのだろう。

どうありたいのか?高校野球は「スポーツ」とするか、それとも「野球道」なのか。高野連に判断が迫られている。


モンスタークレーマー武勇伝w


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