テレビは「面白ければ良い」の自由に不自由にされていないか?

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Bytake0606

2018/03/15更新
フジテレビ2




面白ければいいの限界


罪作りなフジテレビの冒険


楽しくなければテレビじゃない―80年代フジテレビの冒険 

www.hanmoto.com



※解説
80年代のフジテレビといえば、70年代に低迷した視聴率を改善するために、局の方向性を「母と子のフジテレビ」から「楽しくなければテレビじゃない」(1981年)に改め、そして意識改革を行い、現在に続くバラエティ番組中心編成を重要視した「軽チャー路線」に路線変更しました。

その時期と言えば「笑っていいとも!」や「オレたちひょうきん族」などの番組を生み出し、視聴者の支持を集め、翌82年には年間視聴率三冠王を獲得しました。85年には、現在の「AKB48」の前身と言える、秋元康プロデュースである女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」が「夕やけニャンニャン」で番組内から誕生し、一大ブームを巻き起こす。

更に86年には、それまでの「8マーク」から、「目玉マーク」にロゴを変更し、翌87年から「FNSの日」「FNSスペシャルテレビ夢列島」「平成教育テレビ」「27時間テレビ」が始まった時期でもあります。




「楽しくなければテレビじゃない」が曲解されているのではないのかと思う。これが「楽しければいい」「面白ければいい」といった考えの源泉であり、意図してはいなかっただろうが、フジテレビの冒険は罪深いチャレンジであったかと思う。

「楽しければいい」「面白ければいい」と言った考えは、芸人さんの「笑いを取れさえすれば、何をやっても許される」論理に発展して行き、彼らに一定の正当性を与える結果にもなってしまった。

本来なら、テレビの世界で生きる公人として存在する芸人さんや、ましてや大御所芸人さんなら、なおさら、「ノブレスオブリージュ」を発揮しこそ。また、同時に自浄作用を働かさなければならないし、在りようを指し示してこそ。それでこそ「社会の公器」であるのだが。

ノブレスオブリージュとは高貴なるものの義務


ノブレスオブリージュとは騎士道から由来し、日本においては武士道でもあるのだが、明治日本が資本主義を導入し近代国家としてなす上で、必要であった精神であり、日本だけの話でもなく、資本主義の前提条件として必須。そして、この徳目が無い国は資本主義が確立しづらい。

では、なぜ確立しづらいのか...。

兎にも角にも「誠」の徳目が重視されたからだ。すなわち「信用」の事でもある。当然、高貴なるものの義務として求められるものは、大衆に対する規範であり、規範であるからこその公器である。

だからこそ、公器たるなら、なおの事、己を律し自浄せねばならない。自浄してこその規範であるのも当然だ。

とは言え、何処の世界でも同じなのだが、自浄作用は言うほど容易くない。ならば、それを今のいままで良しとして来た視聴者の責任でもあり、寧ろそのB層感覚こそを責めるべきで、今はカウンターの時期であり、そのうち落ち着いてくるのではないかとも思う。


フジテレビ 「とんねるずのみなさんのおかげでした」 新企画〈ジェントルジャンケン〉

うん、ジェントルとは騎士道由来の紳士.....皮肉なのか自虐なのか...

結局、新企画<ジェントルジャンケン>だけに留まらず、「おかげでした」自体が終わりを迎えてしまうが、自虐どころか自害だったのかも知れない。



「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは (小学館文庫) 文庫 – 2006/4 李 登輝 (著)

武士道とは ∼日本におけるノブレスオブリージュ∼

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放送から通信へ


有料放送も選択肢の一つ


昨今の「テレビはつまらない」「テレビ離れ」は地上波前提で話が進んでいる気もする。今時、CS・BSもあるわけで、それこそネットでも視聴することもできる。

例えば、世界最大級のデジタル・スポーツコンテンツ&メディア企業であるPerform Groupによって提供されるライブストリーミングサービス「ダゾーン」なども、高額でJリーグと契約したりと放送から通信の流れの一つであり、何とか成功を収めてほしいとも思う。これも、脱放送の流れともいえる。

JリーグとDAZNが10年間、約2100億円の放映権契約を締結 ~2017年からライブストリーミングサービス「DAZN」

www.jleague.jp



極論ともいえるが、全有料放送も選択肢の一つではないのか。

そもそも、スポンサーありきだからこそ、テレビ局側はその意向を忖度せねばならず、放送を「冒険」から「守り」の姿勢にさせてもいる。

作り手側は必ずしもスポンサーありきで、スポンサーは視聴者ありき。これらのトリニティが悪く働いており、テレビ局側もスポンサーやモンスタークレーマーにも、配慮せねばならず、彼らが作りたいものが作れていないのではないかとも思う。なおかつ、スポンサーもモンスタークレーマーを怖がっている。

ならば、NHKの様にスポンサーに配慮することなどを考える必要さえなければ、それこそ、視聴率無視でお堅い、糞真面目な番組作りに集中することをもできる。

つまり、何を言いたいかというと、視聴率を取ってこその対スポンサーであり、だからこその大衆に訴求しやすい、バラエティ番組作りになってしまう。しかし、それは、そこで起きる低俗性によるクレームに対するスポンサーとモンスタークレーマーへの配慮と対応が必要にもなり、昨今のテレビのつまらなさになっているのではないかと思う。だからこそ、全チャンネル有料の選択肢はあり。

関連記事: 


下の画像は、ウーマンネタ絶賛時twitter投稿でもあるが、簡単に説明すると、テレビが「お花畑、情弱B層」をつくりだし、それらの層を皮肉ったのがウーマンネタ。また、そのウーマンネタを評価するのも「お花畑、情弱B層」である事を皮肉ったものが、この画像。

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さんざん持ち上げられていたMURAMOTO!も「朝まで生テレビ」の凡プレーひとつで、またもや掌返しと、“様式美”もここまで鮮やかだと、手首の先が心配になる程。

参考記事:



「嫌なら見るな!」発言



めちゃイケが放送終了!打ち切りの驚くべき真相がヤバイ...


ナイナイ岡村隆史 「嫌なら見るな発言」

news.livedoor.com


いや、僕は岡村隆史の発言は正しいと思っている。

見なければいいんだよ。面白くないなら、わざわざ見るなと。それこそ、ネット民お得意のコッチミンナ!だろ、こんなん。

たしかに、暴言とも思う。岡村隆史の「嫌なら見るな!」には当時、ネット民も荒れて炎上したが、現在の何か少し問題が起こると、その対象を袋叩きにしようとするネット世論を鑑みても、大外れとも思えない。

だからこそ、嫌なら見るな!だし、貧乏人も見るな!で全チャンネル有料大賛成。でなければテレビはつまらないままでシュリンクする。なおかつ、ネトウヨ視点で考えても、見ない事、炎上すらさせない事を繰り返していけば、テレビ局は終わる。媒体とは注目される事が正義なのだから。

テレビ局側も貧乏人はテレビみんな!くらいの強気でいくべきとも思う。そしてラジオでも聴いてろ!と突き放せばいい。
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テレビの表現の自由とは


アキラの夏の冒険は自殺行為


例えば、もし、日本国内で外国人が日本のテレビ放送を見たとしたらの場合と、それとは反対に、外国で自分がその国のテレビ放送を見たらどう思うか?と考えてみるのも良いと思う。

一見ネットの存在により世界が小さくなっている様に思える世の中で、なおかつ、否定はしたいが、米欧主導で世界を一つの価値観でまとめようとしている最中、いつまでも「楽しくなければテレビじゃない―80年代フジテレビの冒険」は通じない。それは、冒険ですらない「自殺行為」といえる。

「楽しければいい」「面白ければいい」の価値観で放送し続けて、開き直っているも如何なものかという話なのだと思う。だからこそ、裸芸に対して目くじらを立てる人達が居るのも理解できる。


『 裸芸「夏の自由研究」/アキラ100% 』
アキラ100%がまさかの真っ裸に! BPO対策が問われるテレビ界の対応は?

www.dailyshincho.jp



テレビの自己責任論


勿論、規制強化するな論も理解できる話ではあるが、最低限のルールを守ってこその自由だし、テレビの世界の最低限のルールが笑いを取れれば正しいだからこそ、ネット民を中心として怒っているのであろう。そして、それがテレビ批判にも繋がっている。

自由には必ずしも責任がつきものであり、新自由主義に則った日本も当然、自己責任論に繋がる。転じて、テレビの世界での責任とは何なのかという話である。例えば、芸能人が何か重大な不祥事を起こしたとして、少しの謹慎後に復帰では無責任であるし、彼らが声高に表現の自由を口に出来るのか?と言う話でもある。
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何故、放送なの?通信でもいいんでないの?


ユーチューバーが苦戦する時代


そもそも、何故放送に拘るのか?通信に代わってもテレビorPCモニターで芸能人を見るのはかわらない訳で、芸人さんを叩いている人たちも芸能人が気に入らないのか、放送が気に入らないのか?ごちゃ混ぜになっているように思う。

当然、通信に移行しても芸能人は安泰であり、恐らく、その時にはユーチューバーは苦戦を強いられると見る。そもそも、ネトウヨの敵は旧媒体であり、旧媒体がどうにかなれば、言うほど芸能人なんてどうでもいいと思っているのではないのか?とも思う。

ネトウヨの狙いは旧媒体における放送局が弱ればいいわけで、目下のところはある一定の目標は達したようにみえる。通信なりで芸能人がそれこそ何をやろうが構わないとおもっているのではないのか。

文句を言いたいだけのモンスタークレーマーは知らんけれども。

テレビ好きvsテレビ嫌い


日本におけるテレビ放送の由来をネットなどで知ると、情報強者やネトウヨであればあるほどテレビ局に対して嫌悪がわく。そして、当然保守層もテレビが嫌いであり、先ず、この層はテレビ局と相いれるつもりもない。

現状のテレビに不満が無いor騙し騙しダラダラ見ている層(B層、情弱、テレサヨ、お花畑)はそれこそ、放送、通信と言うこだわりもなく、そのうえ旧媒体に対する疑念を抱くこともない。

つまり、「楽しければいい」「面白ければいい」層であり、それらをB層、情弱層であるとして、必ずしもこの層がテレビ放送を詰まらなくさせている張本人だとも思うが、無自覚であり、テレビ放送かくあるべきを唱える層、意識高い系層との対立により、よりテレビをつまらなくさせている。
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有料放送が無理ならゾーニング


ゾーニングも難しいの?


解説
ゾーニング........その人の属性(主に年齢)によってアクセスできる情報や物質を制限すること。

どうやら、ゾーニングも有料チャンネルも出来そうもないので、僕の提案といたしましては、テレビ機能にフィルター搭載する案をお勧めしたい。親御さんが子どもの成長を鑑みた上で、細かく設定できる機能であり、必ずしも身近に居る親でこそ、今、自分の子どもに必要なものが解るはず。それと、テレビにも学習機能を付ければなおいい。4K、8Kも良いが、こんなところも機能として搭載して欲しいが.....。

表現の自由と、それらから己を守る自由


確かに、御上からの指示で規制をかけるのも問題と思う。表現の自由ガーなのだろう

ならば、その表現の自由も尊重した上で、尚且つ世の流れとも言える自由の拡大、規制緩和にも則っていくこと、つまり、御上からの規制に無条件、無批判に従うのは、世界の流れにも逆行しているわけで、各々が各々でゾーニングや有料チャンネルやテレビ機能設定する選択肢から選ぶ自由が有ってこそ自己責任だと思う。

テレビ放送とは、そもそも垂れ流しなのだから、自由などあるはずも無い。それでもなお表現の自由を盾に、垂れ流すのなら、視聴者にも自分たちを守る権利と自由をも認めてこそと思う。そして、それを追求してこその表現の自由であり、自己責任を全うする事にも繋がる。

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