テレビは「面白ければ良い」の自由に不自由にされていないか?  5/4更新

take0606

2018/05/04更新
フジテレビ2

目次

 面白ければいいの限界
   ・罪作りなフジテレビの冒険 
   ・ノブレスオブリージュとは高貴なるものの義務
 ▶放送から通信へ
   ・有料放送も選択肢の一つ 
   ・“B層問題”を解決すれば問題なし 
   ・「嫌なら見るな!」発言
 ▶テレビの表現の自由とは
   ・アキラの夏の冒険は自殺行為
   ・テレビの自己責任論
 ▶何故、放送なの?通信でもいいんでないの?
   ・ユーチューバーが苦戦する時代
   ・テレビ好きvsテレビ嫌い
 ▶有料放送が無理ならゾーニング
   ・ゾーニングも難しいの?
   ・表現の自由と、それらから己を守る自由
   ・あわせて読もうず




面白ければいいの限界

罪作りなフジテレビの冒険


楽しくなければテレビじゃない―80年代フジテレビの冒険 

www.hanmoto.com


※解説
 80年代のフジテレビといえば、70年代に低迷した視聴率を改善するために、局の方向性を「母と子のフジテレビ」から「楽しくなければテレビじゃない」(1981年)に改め、そして意識改革を行い、現在に続くバラエティ番組中心編成を重要視した「軽チャー路線」に路線変更しました。

 その時期と言えば「笑っていいとも!」や「オレたちひょうきん族」などの番組を生み出し、視聴者の支持を集め、翌82年には年間視聴率三冠王を獲得しました。85年には、現在の「AKB48」の前身と言える、秋元康プロデュースである女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」が「夕やけニャンニャン」で番組内から誕生し、一大ブームを巻き起こす。

 更に86年には、それまでの「8マーク」から、「目玉マーク」にロゴを変更し、翌87年から「FNSの日」「FNSスペシャルテレビ夢列島」「平成教育テレビ」「27時間テレビ」が始まった時期でもあります。


 しくなければテレビじゃない」が曲解されているのではないのかと思う。

 これが「楽しければいい」「面白ければいい」といった考えの源泉と考えられる。意図してはいなかっただろうが、フジテレビの冒険は罪深いチャレンジであったかとも思う。

 「楽しければいい」「面白ければいい」と言った考えは、芸人さんの「笑いさえとれれば、何をやっても許される」論理に発展して行き、その考えに一定の正当性を与える結果になってしまったと言えるかもしれない。

 本来なら、テレビの世界で生きる公人として存在する芸人さんや、ましてや、大物芸人さんなら、なおさら“ノブレスオブリージュ”を発揮しこそ。また、同時に自浄作用を働かさなければならない。

 在りようを指し示してこそ“社会の公器”であると言える。

ノブレスオブリージュとは高貴なるものの義務


 ノブレスオブリージュとは騎士道から由来し、日本においては武士道でもあるのだが、明治日本が資本主義を導入し近代国家としてなす上で、必要であった精神であり、日本だけの話でもなく、資本主義の前提条件として必須。そして、この徳目が無い国は資本主義が確立しづらい。

 では、なぜ確立しづらいのか。

 兎にも角にも「誠」の徳目が重視されたからだ。

 信用の事でもあるのですが、高貴なるものの義務として求められるものは、大衆に対する規範であり、規範であるからこその公器と言える。

「誠」...とは
文字通り、言ったことを成すこと。嘘や誤魔化しを嫌い「武士に二言はない」という言葉は武士道の徳目である。

 公器たるなら、なおの事、己を律し自浄せねばならない。自浄してこその規範であるのも当然。

 とは言え、どこの世界でも同じと言えるかもしれないが、自浄作用は言うほど容易くない。

 今のいままで、テレビの在りようを良しとして来た視聴者にも責任があり、そのB層感覚を責めるべき。

 今はカウンターの時期で、そのうち落ち着いてくるのではないかとも思う。


フジテレビ 「とんねるずのみなさんのおかげでした」 新企画〈ジェントルジャンケン〉

 うん、ジェントルとは騎士道由来の紳士.....皮肉なのか自虐なのか...

 結局、新企画<ジェントルジャンケン>だけに留まらず、「おかげでした」自体が終わりを迎えてしまうが、自虐どころか自害だったのかも知れない。



「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは (小学館文庫) 文庫 – 2006/4 李 登輝 (著)

武士道とは ∼日本におけるノブレスオブリージュ∼       

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放送から通信へ

有料放送も選択肢の一つ


 レビがつまらない」「テレビ離れ」は地上波ベースで進められている気もする。

 CS・BS、それこそネットでも視聴することもできる。

 例えば、世界最大級のデジタル・スポーツコンテンツ&メディア企業であるPerform Groupによって提供されるライブストリーミングサービス「ダゾーン」なども、高額でJリーグと契約したりと放送から通信の流れの一つであり、何とか成功を収めてほしいとも思う。これも、脱放送の流れともいえる。

JリーグとDAZNが10年間の放映権契約を締結 ~2017年からライブストリーミングサービス「DAZN」で明治安田生命J1、J2、J3を全試合生中継~

www.jleague.jp


 極論といえるかもしれないが、全有料放送も選択肢の一つではないのか。

 そもそも、スポンサーありきだからこそ、テレビ局側はその意向を忖度せねばならず、放送を“冒険”から“守り”の姿勢にもさせている。

 作り手側はスポンサーありきで、スポンサーは視聴者ありき。

 このトリニティが悪く働いており、テレビ局側もスポンサーやモンスタークレーマーにも、配慮せねばならず、彼らが作りたいものが作れていないのではないかとも思う。また、スポンサーもモンスタークレーマーを怖がっている。

 なので、NHKの様にスポンサーに配慮することなどを考える必要さえなければ、それこそ、視聴率無視でお堅い、糞真面目な番組作りに集中することをもできる。

“B層問題”を解決すれば問題なし


 大衆に訴求しやすい番組を制作することによる陳腐化が問題で、視聴率こそ正義と言った結果至上主義による弊害のようにも思う。

 また、これらの“問題”とは、テレビ放送が大量生産した、いわゆるB層により、テレビや表現物をつまらなくさせ、結果的にテレビ局自身の首を絞め、B層由来の“ネトウヨ”または“テレサヨ”がモンスタークレーマーとなり、無根拠に対象を批判することによる陳腐化とも言えそうです。

 テレビ放送が大量生産した大衆が、陳腐なロジックで批判を繰り返し、テレビ局や表現者の自由を奪い、表現物や発言を硬直化させている問題とも言えそうです。

関連記事:



 下の画像は、ウーマンネタ絶賛時twitter投稿でもありますが、簡単に説明すると、テレビが「お花畑、情弱B層」をつくりだし、それらの層を皮肉ったのがウーマンネタ。

 また、そのウーマンネタを評価するのも「お花畑、情弱B層」である事を皮肉ったものが、この画像のツイート。

1333.png

 さんざん持ち上げられていたMURAMOTO!も「朝まで生テレビ」の凡プレーひとつで、またもや掌返しと、“様式美”もここまで鮮やかだと、手首の先が心配になる程。

参考記事:



「嫌なら見るな!」発言



めちゃイケが放送終了!打ち切りの驚くべき真相がヤバイ...     


news.livedoor.com


 個人的に、岡村隆史の発言は正しいと思っている。

 見なければいいんだよ。面白くないなら、わざわざ見るなと。それこそ、ネット民お得意のコッチミンナ!だろと。

 たしかに、発言自体は暴言とも思う。

 岡村隆史の「嫌なら見るな!」発言には、当時、ネット民も荒れて炎上したが、現在の何か不祥事など起こると、その対象を袋叩きにしようとするネット世論を鑑みても、大外れとも思えない。

 だからこそ、嫌なら見るな!だし、貧乏人も見るな!で全チャンネル有料大賛成。

 でなければ、テレビはつまらないままで縮小する。また、保守視点で考えても、見ない事、炎上すらさせない事を繰り返していけば、テレビ局は終わる。

 メディアとは注目される事が正義なのだから。

 また、テレビ局視点で考えるなら、貧乏人はテレビみんな!くらいの強気でいくべきとも思う。そして、ラジオでも聴いてろ!と突き放せばいいのでは無いか。
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テレビの表現の自由とは

アキラの夏の冒険は自殺行為


 本国内で外国人が日本のテレビ放送を見たとしたらのケース、また、それとは反対に、外国で自分がその国のテレビ放送を見たらどう思うか?と考えてみるのも良いと思う。

 ネットの存在により世界が小さくなっている様に思える世の中で、また、米欧主導で世界を一つの価値観でまとめようとしている最中に、いつまでも「楽しくなければテレビじゃない―80年代フジテレビの冒険」は通じない。

 それは、冒険ですらない「自殺行為」といえるかもしれない。

 「楽しければいい」「面白ければいい」の価値観で放送し続けて、開き直っているも如何なものかという話なのだと思う。だからこそ、裸芸に対して目くじらを立てる人達が居るのも理解できる。


『 裸芸「夏の自由研究」/アキラ100% 』      
アキラ100%がまさかの真っ裸に! BPO対策が問われるテレビ界の対応は?

www.dailyshincho.jp



テレビの自己責任論


 もちろん、規制強化するな論も理解できる話。

 最低限のルールを守ってこその自由といえ、テレビ業界の最低限のルールが“笑いを取れれば正しい”だからこそ、ネット民を中心として怒っているのではないのか。また、それがテレビ批判にも繋がっている。

 自由には必ずし責任がつきもの。また、新自由主義に舵を切っている、日本も当然、自己責任論に発展する。

 同様に、テレビの世界での責任とは何なのかという話でもある。

 例えば、芸能人が何か重大な不祥事を起こしたとして、少しの謹慎後に復帰では無責任でもあるし、彼らが声高に表現の自由を口に出来るのか?と言う話でもある。
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何故、放送なの?通信でもいいんでないの?

ユーチューバーが苦戦する時代


 故放送にこだわるのか?

 通信に代わってもテレビorPCモニターで芸能人を見る事にはかわらない。

 芸人さんを叩いている人たちも芸能人が気に入らないのか、それとも、放送が気に入らないのか?ごちゃ混ぜになっているように思う。

 通信に移行しても、芸能人は安泰で、その時には恐らくユーチューバーは苦戦を強いられると見る。

 そもそも、保守層の敵は旧メディアであり、旧メディアがどうにかなれば、言うほど芸能人なんてどうでもいいと思っているのではないのか。彼らにとって、旧メディア、とりわけ放送局が弱ればいいわけで、目下のところ、一定の目標は達したようにみえる。

 通信で芸能人が何をやろうが構わないとおもっているのではないのか。

 文句を言いたいだけの“ネトウヨ”由来のモンスタークレーマーは知らんけども。

テレビ好きvsテレビ嫌い


 テレビ放送の由来をネットなどで知ると、テレビ放送の事が嫌いになってしまう。

 なかでも、情報強者や保守層は、より顕著で、この層はテレビ局と相いれるつもりもない。また、“ネトウヨ”も同様。

 現状のテレビに不満が無いor騙し騙しダラダラ見ている層(B層、情弱、テレサヨ、お花畑)は、放送、通信と言うこだわりもなく、そのうえ旧メディアに対し疑念を抱くこともない。つまり、「楽しければいい」「面白ければいい」層であるといえ、それらB層、情弱層が、テレビ放送をツマらなくさせている張本人と言える。

 ただ、彼らは無自覚であり、テレビ放送かくあるべきを唱える層、意識高い系層との対立により、よりテレビをつまらなくさせている。
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有料放送が無理ならゾーニング

ゾーニングも難しいの?


解説:
 ゾーニング........その人の属性(主に年齢)によってアクセスできる情報や物質を制限すること。

 うやら、ゾーニングも有料チャンネルもできそうもないので、僕の提案といたしましては、テレビ機能にフィルター搭載する案をお勧めしたい。

 親御さんが子どもの成長を鑑みた上で、細かく設定できる機能で、身近に居る親でこそ、自分の子どもに必要なものが解るはず。また、テレビにも学習機能を付ければなおいい。4K、8Kも良いが、こんなところも機能として搭載して欲しいが.....。

表現の自由と、それらから己を守る自由


 確かに、御上からの指示で表現の自由に規制をかけるのも問題と思う。

 表現の自由も尊重した上で、世の流れとも言える自由の拡大、規制緩和にも適うとするなら、御上からの規制に無条件、無批判に従うのは、ただの不自由でもある。

 ただ、マスメディアや表現者に自由があるなら、消費者にも各々でゾーニングや有料チャンネル、テレビ機能設定をするなど選択肢から選ぶ自由があってこそ、自己責任論のようにも思う。

 テレビ放送とは、そもそも垂れ流しなのだから、消費者に情報の自由などあるはずも無い。

 それでもなお表現の自由を盾に、垂れ流すのなら、視聴者にも自分たちを守る権利と自由をも認めてこそと思う。また、それらを追求してこそ表現の自由であり、自己責任を全うする事にも繋がるようにも思う。

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