保守思想とは、オトナであること。ミーハーB層はコドモである。

17/08/14更新



多様性ある人々


-ファミレスの多様性-

ファミレスは便利で良いですね。ドリンクバーなどもあったりして、下手したら、ドリンクバーだけで何時間も粘れてしまいます。うん、確かに質の悪い客ですね。自覚しています。御免なさい、ジョ〇さん。

いつでしたか、お腹が空いたのでツレとともに近くのファミレスに立ち寄り、テーブルに通され注文し、料理を待っていたのですね、すると、向こうの方で、子供の大きな声が聞こえ、何かなと思い目をやると、小さな男の子が、地べたで仰向けで寝転がりウダウダしているwそして、その男の子の周りを女の子がローラーのついた靴でクルクル 回っているのに気付くw

目を疑ったのですが、やはりその子供二人は長い事その所業を続け、そして、近くにいる母親もその二人を無視するのです。その上、店員さんも何一つ注意もしない様にはビックリしましたが、そこはファミレスお察し。

意識高い系は、「日本はこの何十年で大事なものをとことん失い続け、そして、決して徳目の面においても他国にとやかく言えないほど、経済優先の普通の国になってしまったんだな」でしょうか?僕も思いましたが、しょうがないと諦めて、料理を食べて店を後にしました。

店からの帰りみちで、ツレと話したのですが、結論は「まーいろいろあるから、しゃーないね」と、諦めるふりをしました。

ただ、内心は違います。

「普通の国の普通の日本人なら尚のこと、男女同権、男女平等での議論以前の問題であり、そもそも、本来日本に根付いていた大事な部分を失い続けて、そして、その日本人同士がぶつけ合う道徳観や倫理観由来の正義感なんてものはたかが知れている。そして、其の姿は泥仕合と言えるほど醜い」....うん、鬱陶しいwこんな類の事を考えていましたが、言わなくて正解。お前が一番五月蠅いよ!で終了。


-年々幼くなる日本人-

ファミレスから帰り、PCを立ち上げ僕はすぐさまweb検索で画像を探した。ファミレスの男の子と女の子が許せなかったからだ。そして、僕の水に流せない幼児性も情けないw家で文句を言わないツレは大人だ。


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報道写真家 ジョー・オダネル撮影 「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて) 

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。
[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]


今から約70年前の話なのだけれども、何かもう別の人々の様で、戦後の自由と民主主義の中で、散々失い続けた徳目と言ったものは、上でも挙げたファミレスの話が示していて、写真の10歳の少年を見てもわかる。



-教育勅語について-

リベラル層は教育勅語を否定するが、の前に教育勅語の徳目の部分をおさらい。

【 教育勅語の十二の徳目 】
孝行(こうこう) =親に孝養をつくしましょう

友愛(ゆうあい) =兄弟・姉妹は仲良くしましょう

夫婦(ふうふ)ノ(の)和(わ) =夫婦はいつも仲むつまじくしましょう

朋友(ほうゆう)ノ(の)信(しん) =友だちはお互いに信じあって付き合いましょう

謙遜(けんそん) =自分の言動をつつしみましょう

博愛(はくあい) =広く全ての人に愛の手をさしのべましょう

修学(しゅうがく)習業(しゅうぎょう) =勉学に励み職業を身につけましょう

智能(ちのう)啓発(けいはつ) =知識を養い才能を伸ばしましょう

徳器(とくき)成就(じょうじゅ) =人格の向上につとめましょう

公益(こうえき)世務(せいむ) =広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう

遵法(じゅんぽう) =法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう

義勇(ぎゆう) =正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう



日本人一人ひとりにこの様な徳目教育を施され、写真の10歳の子を見てもわかるが、極限状態においてもなお、恨みつらみを言う訳でもなく、ただただ、死者に対しても敬意を表す様は一人の武士。転じて、現代に目をやると、上でも挙げたファミレスの話との比較になるのだけれども......僕のグジグジ言う幼児性に残念。




保守思想とは大人である事


-西部邁『日本の保守思想』-



西部邁(1939~ )....日本の保守派の評論家、元経済学者、雑誌『表現者』顧問、元東京大学教養学部教授。

西部は〈保守思想が何を意味するか、その定義は様々であろうが、今、仮に保守思想を体現した人物が眼前に現れたと想定してみると、その人物はまぎれもなく大人の風貌をもっていると見当がつく〉と述べています。続けて、〈オトナの定義もこれまた様々であろうが、さしあたり、物事に熱狂するのを避けること。それが大人たることの第一条件だといえよう〉と語られています。

B層感覚を批判している。B層であるなと言う事だろう。



-B層について説明-

電通が小泉政権(2001^2006)における郵政民営化広報のために作成した企画資料で、「IQが低いため具体的なことはよく分からないが、小泉純一郎のキャラクターを支持する層」のことを指しています。

広義には政策よりもイメージで投票を行う層を指し、ポピュリズム政治に騙されやすい層を意味する。そのため、インターネット上では政治に疎く感情で動く層を揶揄する目的で使われてはいる。

例、「ネトウヨ」=「パヨク」=「B層」など


だが、これは本来の意味とはかけ離れた使い方で、本来は下記のように構造改革に対する向き合い方を指している。

B層 01


A層 職業:外資系、医師・会計士など専門職。
民営化(小さな政府)方向への必要性は感じているが、これまでの実例から鑑みて批判的な立場を取っている。エコノミスト、大学教授、マスメディア(テレビ)、勝ち組企業、ホワイトカラーなど。IQが比較的高いとされる。

D層 職業:経営者、商工会・建設業など自営業者。
構造改革に否定的で、IQが比較的低い層。既に失業などによる痛みを受けているため構造改革に恐怖を感じている層で構成されている。

C層 職業:教師、公務員、上場企業正社員。
構造改革抵抗守旧派。IQ(EQ・ITQ)が比較的高く、構造改革に否定的。これ以上の分析は無いとされる。


B層 職業:主婦層、若年層、シルバー層。
IQが比較的低く、構造改革に中立的および肯定的。主婦層、若年層、高齢者層、具体的なことは分からないが小泉総理のキャラクター・内閣閣僚を支持する層など。


IQの語を引き合いに出して国民を分析しているため、“支持層や失業者など主権者である有権者を頭が悪いと馬鹿にしている”、”IQの持つ本来の意味を「頭の良さ」と結びつける前時代的誤解に囚われた表記だ”と批判もされている。




take0606(????~)....日本の保守的ブロガー、元横浜市民、ブログ『日本である事の価値』管理人、元目黒区民

take0606は〈連綿と今に至る価値がある。その価値をしっかり受け止められる個性であろう。そして、その個性だけが価値を次に繋ぐ。 連綿と続く物語と交差する今と言うニュース。ニュースだけでは価値など見出すことなど出来ない。それはただの情報だが、連綿と続く物語と交差する事において絶対的価値になる〉と語られています。


こちらも、B層感覚を批判している。B層であるなと言う事で、

つまり、ニュースとはあくまでも、ただの情報であり、その時点において真偽は問われない。その程度の情報に右往左往するな、と言う事である。私たちが学ばなければならないものは、今に至るまでの人類の英知であり批判に耐え抜いた普遍性である。そして、学んだものだけがニュースを価値あるものにする。


-竹田豆『高野連よブレるな!』-






御先祖様に寄り添ってこそ


上述である、写真の10歳の子を見てもわかるが、極限状態においてもなお、恨みつらみを言う訳でもなく、ただただ、死者に対しても敬意を表している。うん、1945年に戻って抱きしめたくなる。転じて、現代に目をやると、上でも挙げたファミレスでの件の子供たち。うん、思い出しただけでも、蹴飛ばしたくなるw

いや、冗談です。ただ、写真の子、後に幸せになれたろうか....何か申し訳ない気持ちしかありません。

リベラル層が戦前の日本は悪で、兵隊さんにおいても悪魔と吹聴し続けてきた。ただ、子供ひとり見てもこの有り様で、とてもでは無いが悪魔のそれではなく、立派なひとりの武士。これは、当時の徳目教育あってこそとも思えるし、彼らは、その徳目教育のなかで育ち、そして、青年となり戦地にも赴き、吹けば飛ぶ様な命だとしても、最後まで全うさせてこそとばかりに勇敢に戦ったのである。

......涼しくなったら、九段下に行きます。





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