父の話

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Bytake0606

2018/01/19更新
新宿1970
淀橋浄水場跡 空撮 1970(昭和45)年7月23日
東京web写真館 東京いま・むかし



ネトウヨ、テレサヨはB層――

お花畑サヨクも、ポチホシュも大差も無く同根で、その時代の価値観が変化してゆけば、当然のように変節をする。彼らは、どの時代においても、その時代の雰囲気を読むのだが、正にファッションか何かなのだろう。

彼らの、ミーハーB層感覚こそ悪なのだし、団塊サヨクみたいなもので、本気で考えてもおらず、ネトウヨも同様として、ネトウヨとしての連帯感の中に身を投じることにより、己を承認したい欲、その欲求を満たす為だけに、熱狂の中に身を置く。

つまり、保守思想でも何でもない。「保守とは」などと自問も、己とも向き合う事もせず、その癖、他人には無自覚に無根拠に己の正義を投げつけるのである。

これはネトウヨだけの問題でもなく、テレサヨにおいても、お花畑価値観を投げつけるのと同意で、それこそ、同じレベルでしか争いは起きないのであり、ネトウヨとテレサヨは同根でB層であると考えられる。



現代においての保守思想――

そもそも、「保守とは」が無い者の無批判の現政権支持とはなんなのかとも思う。

とは言え、お花畑テレサヨの不支持も良くわからないが、 いずれにせよ、現代において保守思想にも限界があり、全うする事は難しい。

僕が思うに世界には、自覚、無自覚であれ左翼かサヨクしかおらず、当然のように日本においても、自覚、無自覚であれ、左翼かサヨクしかいない。

つまり、程度に差があるにせよ、左翼かサヨクなのだから、保守思想を全うする者など皆無であり、現代において、もし存在するのであるなら、狂人なのかもしれない。

同じレベルでしか争いは起きないものであり、ネトウヨとテレサヨは同根でB層であるなら、批判ありきの批判になるのは当然で、如何に自己承認する為に右左思想が使われているだけかもしれない。


思想とは本来、情報でもなく、それこそひけらかす為のモノでも無いし、そして、相手を打ちのめすために使われるモノでもない。

思想とはそう言うものでは無いはずだし、人が生きて行く為の指針と言っても良い。自分が生きて行く上で最重要視するものは何か。何が必要で、何が必要で無いか。何が譲れて、何が譲れないか。

決して、文言において他者を全否定するものでもなく、自分自身を肯定していく為に必要な核の部分といえるかも知れない。



父の話――

団塊サヨクが暴動を起こす中、黙々と働いた。保守的である。父の話だ。

彼は新宿で学生運動をしり目に黙って働いた。 熱狂に身を置かず、ただただ、働いた。思うところがあったかとも想像できるのだが....

父は病気である。大病を患い、今は自宅で療養中である。酒が好きで、飲んでは、よく政治について語った。当時、僕は子供であったから鬱陶しかった。仕方なく、僕も酒を飲み話に付き合うようになった。 父は自民党が嫌いである。兎に角大嫌いであった。

北海道の人で、高校を卒業し上京してきたのである。専門学校に通い、そこで母と知り合うのであるが、これはまた別の話。

母も同様に、高校を卒業後に上京。バイトをしながら専門学校に通う。当然部屋も借りなければならない。父母は当時の事をあまり語りたがらないが、聞かずとも想像は容易であった。

働くしかないのである。思うところは山ほどあっただろう。 はなから、自民党など嫌いな人間でもある。学生運動の人間の主張をどのような気持ちで聞いてたかまでは、想像も出来ないが、 いずれにせよ、働くしかない。働かなければ、夢はおろか生活すらままならない。

ましてや、好きな人も幸せに出来やしない


学生運動に参加する、自称知識人は当時、何を思って自説を説いたのだろうか?

父も恐らく同じような考えを持っていた。ただ、兎に角働かなければならない。いくら口角に唾をため大声を張り上げたとしても暮らしてはいけない。

今日もまた、新宿の学生運動をしり目にバイト先にいつものように通うのである。


「五月蠅いよ」と思っていたであろう。

ただ、もともと、酒を飲まなければ口数も少なく、無駄口も叩かず行動する人間であり、これは今も変わらない。 そして、また黙ってバイトをし、専門学校に勉強しに行く。

これは、父の言葉ではない。全て、僕の想像であるのだが綴りたい。

父は本当は大学にでも通って勉強をしたかったのである。父はおくびにも出さないが、僕はそうなんだろうと思っている。

無駄口は叩かない人だが、息子が言うのもおかしな話だが、明晰である。 直ぐ何事なのか気づく。見抜かれる。 当時、子供であったのも悪いのだが、兎に角、見透かされるのが怖かった。

物申すのも怖かった。

何かされる訳でも、怒鳴られるわけでも無いのに、怖い。 仕方ない。見抜かれる子供の僕が悪い。 勇気を出して物申してみる。顔を見ればわかる。見抜かれている。そのたびに、そう考えるのも嫌で、話すのも嫌になり、父に心を閉ざした。反抗期である。

未だに父と話すのが苦手だ。

ただ、酒を飲んで話すのは好きだ。 病気もし、酒も口を湿らす程度で顔が赤くなり、益々無口になってしまった。酒を飲んでも無口である。今は、僕が一方的に話す形になっているが、笑って付き合ってくれている。会話としては成立してないのであろうが、楽しい時間だ

父は無口だ。恐らく最後まで、まともに会話することも無いだろう。それでも、黙って行動する人間だ。 当然、口だけで行動が伴わない人間を憎んでいる。

新宿の学生運動である。全てとまでは言わないが、彼らには余裕がある。余裕があるから、うつつを抜かせる。流行思想にかぶれ、現実を生きる人間にまで実害を与えたりもする。

これも、全てとまでは言わないが、ネトウヨと変わらないではないか、とも思う。



ミーハー感覚は保守ではない――

ネットウヨクも流行思想であり、学生サヨクと同じで、彼らはガチ層と一線を画す。

ネトウヨも学生サヨクもB層である。つまりB層とはミーハーファッション感覚で、思想にかぶれ、反対の価値観の人を慮らずに、批判ありきの批判を繰り返している。

なにも変わっていない。右左かわれど何もかわらない。 その点では、日本的だし保守的か。

これが、日本なのかもしれない。1か0なのである。1でなければ全部悪くらいの感覚で批判をする。反対派、マイノリティを全否定もする。村八分なのであろう。マジョリティである事で満足するのである。

ナンバーワンやらオンリーワンなど言っている癖に、出る杭は打たれるし、一つ判断を間違え問題を起こすと袋叩きである。

ネトウヨ思考のいじめ感覚とは村八分由来なのだとしたら、やはり日本的で保守的なのかもしれない。


素養が無い。素養が無いから、無根拠に反対意見の人を叩きまくる。B層である。 保守も左翼も、それほど差異も無い筈なのに。

父は明晰である。口は下手だが、無駄なことを言わない。飲んだ時以外は絶対に口外しない。 口を真一文字にして、何かを我慢しているのも想像できる。



つづく
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