「読売巨人軍」とは「モノ」が無い日本人を代弁した「心」なのです。

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Bytake0606

2018/04/18更新
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日本人の苦しみと悲しみに報いる

「読売巨人軍」とは「近代日本」そのものである


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 に重きをおくこととは、「道」であり、「道」とは“精神性”“過程”を重視すること。また、「スポーツ」とは“物質性”“結果”に重きをおくことで、「道」を心とするなら、モノと言えるのだろう。

 つまり、読売巨人軍とは心を捨て、“結果”が全てとばかりに生きざるおえなかった。

 それは、大正力の遺訓のなかにも現れており、「勝てば官軍」を貫かざる負えない事情があったのだといえる。

■正力松太郎遺訓

巨人軍は常に強くあれ

巨人軍は常に紳士たれ

巨人軍はアメリカ野球に追いつけそして追い越せ



 つまり、この遺訓とは「米国に対する復讐をプロ野球をもって、平和に成し遂げよう」という事を言っている。
 
 その為には、嘘でも「紳士」であり「強く」そして「米国を追いつき、追い越せ」なのだと言える。

 そして、成すためには、なりふり構わず全うするしかなく、貧乏だが、時間も無かった。

 兎に角強くなければならない。強くなければ己の存在すら否定される。そして、強くなった結果、米国に追いつき、追い越せなのだといえる。

 これは、明治維新から太平洋戦争に至るまでの日本の歩みであり、日本国存続を懸けた近代日本そのものの姿なのだろう。

それは日本国の悲しみでもある


 更、「勝てば官軍」を身に染みて理解しているのだろう。綺麗ごとなど一切通用しない。

 「一人前」にならなければ土俵に立つことすらできない。

 言い訳していても、誤魔化しても、そもそも強くなければ、存在すら認められない。そして、なりふり構わず米国に勝つしか存在し続けられない、それは日本国の悲しみそのもの。

1910年当時のアジア情勢:日本は欧米列強に包囲されていた
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https://fujissss.exblog.jp/10705930/

 「読売巨人軍」とは「近代日本」であり「旧日本軍」とも言える。

 そのことを正力松太郎も理解していたはずで、だからこそ、この遺訓であり、「勝てば官軍」を全うしようとしたからこそ、如何を問わず、プロ野球で「米国」を倒す、なのです。

 そこに、綺麗ごとを投げかけてもしようがあるはずもない。「道徳」など意味がない。それこそ「武士道」など関係ない。“恥を知れ”と言ったところで聞く耳も持つ気も無い。兎にも角にも「米国」を倒すのみ。

 せめて、プロ野球くらいは「米国」に一矢報いたいという、日本人としての意地と誇りなのだろう。そして、その事をなりふり構わずガムシャラに追求しなければ、日本人の苦しみと悲しみに報いることはできないと考えた。それが大正力の遺訓なのだろう。

「心」なのか。「モノ」なのか

無いものは無い。仕方ない


 本は空襲で焼け野原にされた。広島、長崎にも原子爆弾も落とされた。2018年に生きる僕などに、想像など出来ない程の景色が広がっていたのだろう。

 そして、1945年8月15日に終戦を向かえた。

 日本人は当然貧しくなる。食べ物が無い。そもそも「モノ」が無い。おまけに焼け野原が広がる。ないない尽くしで、無い。「無いものは無い」。

 夜中にお腹が空けば、それこそ、暗闇のなか煌々と明るいコンビニにふらっと寄り、大量に商品がある事にも疑いを持たずに、カードで支払いを済ませたりもする。

 現代人には到底、「無いものは無い」という状況が理解できるはずもない。「有るものは有る」。捨てても捨てても「モノ」が有る。

「読売巨人軍」とは日本人を代弁した「心」


 代人に、当時の日本人の心を理解することは出来ないのだろう。

 「有るものは有る。捨てても捨てても「モノ」が有る」人々に
 
 「ないない尽くしで、無い。兎に角「モノ」が無い。無いものは無い」人々の気持ちなど絶対にわからない。

 「モノ」が無い。「無いものは無い」。当時の日本人の気持ちを汲み取り「対米国への復讐をプロ野球をもって、平和に成し遂げよう」としたものが大正力遺訓なのだろう。

 「読売巨人軍」とは「モノ」が無い日本人を代弁した「心」とも言える。

「勝てば官軍」とは覚悟と戒めの言葉である


「保守的」.....精神性を重んじる。
理想的・非合理・観念的・唯心的・歴史・伝統・文化.....を重んじる。つまり「
「左翼的」.....物質性を重んじる。
現実的・合理的・即物的・唯物的・経済・効率・文明.....を重んじる。つまり「モノ

 生運動というものがあった。

 団塊左翼の事とも言えますが、彼らは終戦直後に生まれた。そして、その思想とは、どうであれ「左翼」か「サヨク」。そして、「左翼」「サヨク」とは物質性を重んじることでもある。つまり、「モノ」重視。

 物質性を重んじる事に対し違和感を感じたりもします。確かに「モノ」も大事と言った話も理解できるのですが「心」あってこその「モノ」だろ?でしょう。

 ただ、団塊世代も知っている。言われなくとも、そんな事位知っている。

 「無いものは無い」。「モノ」が無い状況で「心」と言ったところで彼らに通じるはずも無い。彼らは「モノ」で苦労したのだから、「モノ」で苦労したことの無い人間には絶対に彼らの気持ちはわかる筈もない。

 そして、団塊世代の「モノ」が無いひもじさにマッチしたのが、なりふり構わずガムシャラに「勝てば官軍」を恥じることなく強くあろうとした「読売巨人軍」なのだと言える。

「勝てば官軍」とは「米国」に対する皮肉であり、己すら攻め立てる、覚悟と戒めの言葉なのです。



プロ野球とは「日本人」の歴史である

ネトウヨ世代に訴求し易い広島カープ


 溢れている。

 消費しきれない。

 捨てても捨てても消費しきれない。

 それが今の日本なのだろう。そして、情報や「モノ」にズブズブにされた人間とは、つまり「現代日本人」といえる。彼らは、夜中にお腹が空けば、それこそ、暗闇のなか煌々と明るいコンビニにふらっと立ち寄り、大量に商品がある事にも疑いを持たずに、カードでピッ!と支払いをスマートに済ませたりもする。

 これは現代日本人には普通の事といえる。が、中には違和感を持つ人々が出てくる。「モノ」が溢れかえり、その事にやましさを持ちはじめ、「物質性」優位の世界にすら疑いを持ち始める。

 つまり、“保守思想”と言えるのだが、どうであれ「右翼」か「ウヨク」は生まれやすい下地があり、団塊世代のカウンターとして団塊ジュニアが存在し、「さとり世代」に連なることとなる。

 「モノ」優位のやましさに耐えきれなくなった層にマッチしたのが、赤貧球団広島カープであり、「無いものは無い」が、無くとも「3倍練習して1番になれ」の球団といえる。精神性優先、「心」の球団なのだろう。

プロ野球とは「日本人」の戦いそのもの


 「保守的」に考える人たちに支持されるのが「赤貧球団広島カープ」であり、「左翼的」に考える人たちに支持されるのが「勝てば官軍球団読売巨人」という事になる。

 違和感があるかと思うが、伝統と歴史を誇る読売球団なのに左翼的なのか?となるのだろうが、上述したとおり、“なりふり構わず勝つ”とは「スポーツ」の根幹、結果重視のこと。
 
 未来を見つめるため、過去との決別をせざるおえなかったのが団塊世代なのだといえる。

 広島球団が保守的?となりそうだが、保守的と言える。

 過去と決別し、つくった未来が現在といえるのだが、物質性優位で“なりふり構わず勝つ”と言った、「スポーツ」の根幹である結果重視に「道」の根幹である、過程と言った心で抵抗したのが、いわゆる、ネット世代であり、以降さとり世代に連なるのだろう。

 ただ、お互い対立姿勢をみせている様にも見えたりもするが、違う。

 保守的に考える人たちが支持しているのは“赤貧球団広島カープ”
「モノ」は無いが、無いものは無い現実を潔く諦め、努力する事で結果をだそうと格闘した日本人そのもの。


 左翼的に考える人たちが支持したのは“勝てば官軍球団読売巨人”
理想だけでは生きていけない。「心」を殺してでも、結果をだそうと格闘した日本人そのものといえる。


 プロ野球とは「日本人」の戦い、そのものなのでしょう。

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