「読売巨人軍」とは「モノ」が無い日本人を代弁した「心」なのです。

2017/10/31更新

空襲後


日本人の苦しみと悲しみに報いる

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「巨人軍」とは「perfume」である。「勝てば官軍」とは「心のスポーツ」である。


-「読売巨人軍」とは「近代日本」そのものである-

前述の関連記事のなかでも書いたのですが、「」とは「道」「精神性」「過程が全て」の価値観であり、「スポーツ」とは「モノ」「物質性」「結果が全て」であるのですが、読売巨人軍は「」を捨て「結果が全て」とばかりに生きざるおえなかった。


何故なら、「勝てば官軍」を理解しているからであり、それが、大正力の遺訓に現れています。

「巨人軍は常に紳士たれ」
「巨人軍は常に強くあれ」
「巨人軍はアメリカ野球に追いつき、そして追い越せ」


つまり、この遺訓は「日本国の対米国への復讐をプロ野球をもって、平和に成し遂げよう」と言う事を言っています。その為には「紳士」であり「強く」そして「米国を追いつき、追い越せ」なのです。

そして、その為にはなりふり構わず全うするしかなく、貧乏だが、時間も無い。兎に角強くならなければならない。強くなければ己の存在すら否定される。そして、強くなった結果、米国に追いつき、追い越せであります。これは、明治維新から太平洋戦争に至るまでの日本の歩みであり、日本国存続を懸けた近代日本そのものの姿なのです。


-それは日本国の悲しみでもある-

だから、尚更「勝てば官軍」を身に染みて理解しています。綺麗ごとなど一切通用しない。「一人前」にならなければ土俵に立つことすらできない。言い訳していても、誤魔化しても、そもそも強くなければ、存在すら認められない。そして、なりふり構わず米国に勝つしか存在し続けられない、それは日本国の悲しみなのです。

「読売巨人軍」とは「近代日本」であり「旧日本軍」とも言えます。

そのこと、正力松太郎も理解していたはずです。だからこその遺訓であり、「勝てば官軍」を全うしようとしたからこそ、如何を問わず、プロ野球で「米国」を倒す、なのです。そこに、綺麗ごとを投げかけてもしようがありません。「道徳」など意味がありません。それこそ「武士道」など関係ありません。「恥」を知れと言ったところで聞く耳も持つ気もないでしょう。兎に角「米国」を倒すのみです。

せめて、プロ野球くらいでは「米国」に一矢報いたいという、日本人としての意地と誇りです。そして、その事をなりふり構わずガムシャラに追求しなければ、日本人の苦しみと悲しみに報いることはできないと考えたのでしょう。それが大正力の遺訓なのです。



「心」なのか。「モノ」なのか


-無いものは無い。仕方ない-

日本は空襲で焼け野原にされました。広島、長崎に原子爆弾も落とされました。2017年に生きる僕など、想像すら出来ない程の景色が広がっていたのでしょう。そして、1945年8月15日に終戦を向かえます。当然、日本人は貧しくなります。食べ物が無い。そもそも「モノ」が無い。おまけに焼け野原が広がる。ないない尽くしで、無いのです。「無いものは無い」。

夜中にお腹が空けば、それこそ、暗闇のなか煌々と明るいコンビニにふらっと寄り、大量に商品がある事にも疑いを持たずに、カードで支払いを済ませたりします。現代人には到底、「無いものは無い」という状況が理解できるはずはないですね。「有るものは有る」のです。捨てても捨てても「モノ」が有る。


-「読売巨人軍」とは日本人を代弁した「心」-

現代人に、当時の日本人の心を理解することは出来ないでしょう。

「有るものは有るのです。捨てても捨てても「モノ」が有る」人々に
「ないない尽くしで、無いのです。兎に角「モノ」が無い。無いものは無い」人々の気持ちなど絶対にわからない。

「モノ」が無い。「無いものは無い」。当時の日本人の気持ちを汲み取り「対米国への復讐をプロ野球をもって、平和に成し遂げよう」としたものが大正力遺訓なのです。

「読売巨人軍」とは「モノ」が無い日本人を代弁した「心」なのです。


-「勝てば官軍」とは覚悟と戒めの言葉である-

関連記事 人にはモノでは無く、ココロで向き合いたい。
おさらい
「保守的」.....精神性を重んじる。  理想的・非合理・観念的・唯心的・歴史・伝統・文化.....を重んじる。つまり「
「左翼的」.....物質性を重んじる。  現実的・合理的・即物的・唯物的・経済・効率・文明.....を重んじる。つまり「モノ」ですね。

学生運動があります。団塊左翼の事なのですが、彼らは終戦直後に生まれました。彼らの思想とは、どうであれ「左翼」か「サヨク」です。そして、「左翼」「サヨク」とは物質性を重んじることであります。つまり「モノ」重視。

団塊ジュニアから見ると、物質性を重んじる事に対して違和感を感じたりもします。確かに「モノ」も大事と言う話も理解できるのですが「心」あってこその「モノ」だろ?でしょうね。ただ、団塊世代も知っています。言われなくとも、そんな事位知っています。

ただ「無いものは無い」のです。「モノ」が無い状況で「心」と言ったところで彼らに通じるはずもありません。彼らは「モノ」で苦労したのですから、「モノ」で苦労したことの無い人間には絶対に彼らの気持ちはわかる筈もない。

そして、団塊世代の「モノ」が無いひもじさにマッチしたのが、なりふり構わずガムシャラに「勝てば官軍」を恥じることなく強くあろうとした「読売巨人軍」なのです。


「勝てば官軍」とは「米国」に対する皮肉であり、そして、己すら攻め立てる、覚悟と戒めの言葉なのです。



プロ野球とは「日本人」の歴史である


-ネトウヨ世代に訴求し易い広島カープ-

溢れている。消費しきれない。捨てても捨てても消費しきれない。それが今の日本です。そして、情報や「モノ」にズブズブにされた人間とは、つまり「現代日本人」です。彼らは、夜中にお腹が空けば、それこそ、暗闇のなか煌々と明るいコンビニにふらっと立ち寄り、大量に商品がある事にも疑いを持たずに、カードでピッ!と支払いをスマートに済ませたりします。これは現代日本人には普通の事なのですが、中には違和感を持つ人々が出てきます。「モノ」が溢れかえり、その事に疚しさを持ち始め、「物質性」優位の世界にすら疑いを持ち始めます。

つまり、「保守思想」なのですが、どうであれ「右翼」か「ウヨク」は生まれやすい下地があり、団塊世代のカウンターとして団塊ジュニアが存在し、「さとり世代」に連なります。「心」が優位になります。

「モノ」優位の疚しさに耐えきれなくなった層にマッチしたのが、赤貧球団広島カープであり、「無いものは無い」が、無くとも「3倍練習して1番になれ」の球団です。精神性優先、「心」の球団なのです。


-プロ野球とは「日本人」の戦いそのもの-

「保守的」に考える人たちに支持されるのが「赤貧球団広島カープ」であり、「左翼的」に考える人たちに支持されるのが「勝てば官軍球団読売巨人」となります。

違和感があるかと思います。「伝統」と「歴史」を誇る「読売球団」なのに「左翼的」?そうです左翼的です。上述しましたが、「なりふり構わず勝つ」とは「スポーツ」の根幹「結果」重視であります。そして、未来を見つめるため、過去との決別をせざるおえなかったのが団塊世代なのです。そして「広島球団」が「保守的」?そうです保守的です。過去と決別し、つくった未来が現在なのですが「物質性」優位でなりふり構わず勝つと言った、「スポーツ」の根幹である「結果」重視に「道」の根幹である「過程」「精神性」と言った「心」で抵抗したのがネトウヨ世代であり、以降さとり世代に連なるのです。

ただ、安心してください。お互い対立姿勢をみせている様にも見えますが、違います。つまり「保守的」に考える人たちが支持しているのは「赤貧球団広島カープ」。「モノ」は無いが、無いものは無い「現実」を潔く諦め、努力する事で「結果」をだそうと格闘した「日本人」そのものであり、「左翼的」に考える人たちが支持したのは「勝てば官軍球団読売巨人」。「理想」だけでは生きていけない。「心」を殺してでも、「結果」をだそうと格闘した「日本人」そのものです。

プロ野球とは「日本人」の戦い、そのものなのです。



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