「品格」「紳士たれ」は言いたいだけなんだろう ~B層感覚は悪 横綱の品格とは~

2017/10/17更新

大相撲

ノブレスオブリージュ∼高貴なるものの義務∼

昨今、政治家や官僚、企業経営者はいうに及ばず、それらを監視するためにジャーナリズムを発揮しなければならないマスコミの人間までもが、倫理観の欠落や腐敗が問題視されています。

これらの問題は、アスリートの世界も同様で、社会的立場の高い人たちが、いとも簡単に不祥事を起こしてしまいます。彼らが、高い報酬をも受け、なおかつ発言権や影響力も大きい事も忘れ不祥事を起こしてしまう背景とはなんなのか。

社会の公器として、ノブレスオブリージュを発揮しなければならないにも関わらず、問題を起こす背景とは?

そして、戦後、日本国が失い続けたモノついて考えてゆく事により、「品格」「紳士たれ」の理解にもなり、「横綱の品格」の理解にもつながる事でしょう。ではお付き合いください。




目次

 ▶武士道とは
   ・武士道精神の欠如 
   ・日本人が失ってはいけないもの
 ▶道の話をしている
   ・横綱の「品格」とは 
   ・「道」とは
   ・武士道とは
 ▶breaktime
   ・管理人余興
   ・おすすめ関連記事まとめ
     -相撲の「品格」
     -野球の「紳士」
     -保守とは

ひとまず、アップします。



武士道精神


■武士道精神の欠如


前述した、社会的な地位や影響力などが高い人間が引き起す不祥事の背景には、この武士道精神の欠如が背景としてあり、「紳士たれ」とは、正力松太郎の遺訓なのですが、この大正力の遺訓の真意とは、のちの日本人を憂いての言葉とも思えますし、それとも、読売巨人軍を暗示しての言葉なら、怖いくらいに的確です。

ここでは、読売巨人軍選手の不祥事の数々については触れません。興味がある方はweb検索で。


■日本人が失ってはいけないもの


本来、日本人がその歴史の中で培ってきた道徳観や見識、物事に対する考え方、教養、在りようなどは、米国が推し進める、新自由主義の価値観の中で、戦後、踏みにじられ続けて来ました。

しかし、今一度、この進みすぎた資本主義・拝金主義の世界で、人として大切なもの、守るべきもの、生きようなど、人生を全うする事に何が必要なのかを考える上で、重要な役割を果たすとして再評価される流れも出てきているのが「武士道」ですし、「武士道精神」なのです。


参考記事
武士道とは ∼日本におけるノブレスオブリージュ∼




「道」の話をしている


■横綱の「品格」とは


大相撲における「品格」とは、つまり「横綱の品格」の問題の事を指しています。しかし、この品格問題は主に外国人力士に向けられるようです。現代日本人でも理解しがたい「品格」を日本の国柄を肌で感じる経験がなかった、外国人に求めて、どうするのかとも思いますし、学問としての「武士道精神」とは、本当に「品格」に適うのか問題にもなりますが、このお話は次回以降に。

さて、そもそも、「品格」とは何のことを差しているのでしょうか。この問題は、大相撲が、相撲「道」であり続けるのか、それとも、現実的な「スポーツ」に革新していくべきなのかの問題もはらんでいるように思います。


■「道」とは

その前に、「道」について話をさせてください。

「道」とは様々なところで使われています。相撲においては「相撲道」、そして「柔道」「剣道」と「書道」「華道」......と、この位にしておきます。


では、この「道」についてです。

「道」とは“人の守るべき義理。宇宙の原理。教え。”とあります。うん、そうですね、それはすなわち「心」の事を言っています。つまり、精神性ですね。そして、日本における「心」とは「神道」由来です。そして、「神道」の影響をも受けたのが「武士道」なのです。そして、「武士道」の徳目とも言えるのが「紳士」であり「品格」なのです。


かなり、ざっくりな説明になりましたが、詳しくは下記リンクにて。
参考記事
武士道とは ∼日本におけるノブレスオブリージュ∼

■武士道



「武士道」とは「義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義」からなる道徳であります。

「義」...人間としての正しき道、正義を指すもので、武士道のもっとも厳しい徳目である。「フェアプレイ精神」
「勇」...義を貫くための勇気のこと。犬死はならぬが、正義の為なら、命も惜しまず。
「仁」...人としての思いやりと他者への憐れみの心。「惻隠の情」であり弱き者を、いたわり思いやる心。
「礼」...仁の精神を育て、他者の気持ちを尊重し、そこから生まれる謙虚さ。つまり礼のことで、「礼儀作法」の根源。
「誠」...文字通り、言ったことを成すこと。嘘や誤魔化しを嫌い「武士に二言はない」という言葉は武士道の徳目である。
「名誉」...自分に恥じない高潔な生き方を追求し、そして守ること。つまり、恥を知ることにより、己自身の立ち振る舞いを正される。如何に美しく死ぬかを追求する事は同時に生きる事も追及する事になり、そして、その命とは何のためなのか、と言う哲学にたどり着く。
「忠義」...なんのために生きるのか、それを表すもの。己の正義に値するものであるなら、絶対的な従順を示す。しかし、奴隷にはならず、己の命をかけて主君に意見する事でもある。

引用 - 日本である事の価値  http://take0606.jp/blog-entry-79.html

この、武士道の徳目を意識し、力士として、選手として、一人間として生きる事こそ「品格」を重んじる事であり、「紳士」なのです。




breaktime


■管理人余興


take0606書き込み

横審委員長「一番上に立つ人が…」 白鵬の張り手に苦言


take0606 |**前
日本におけるスポーツに対する価値観と欧米における価値観が違い過ぎるから、流石に定義付けないと駄目ではないか?

一般人は置いといて、相撲好きの素養は知らないから、下手なことは言えないが....全部、言っちゃうよ。

「スポーツ」と「道」の違いだと思うし、この違いを懇切丁寧に説明しないと、そもそも、相撲に対してすら見間違える。

当然、相撲道なのでスポーツではない。

「道」においては、「勝つ」だけでは駄目だし、己の心身を鍛えるのが「道」で「スポーツ」のように打ち負かすものでもない。当然「スポーツ」のように金と言った物質性の為に己を鍛えるわけでも無く、己の心身向上が全てと言った精神性を重んじている。

まぁ、相撲好きからしたら、五月蠅いよ。知っているよ。だろうけども、一般人は下手したら知らない。「品格」くらいwとは言え、余りにも保守的だし、この考えをすべて当てはめて考えるのも難しい。


***** |**前
横綱の品格云々言ってる人らのコメントが総じて品がなくてわろた。



返信

take0606 |**前
そもそも、明治時代に欧米的資本主義を導入し近代化を成し遂げたと言えるが、明治の時点で日本的価値観が蔑ろにされ、相撲の「道」の部分も死んだと言える。資本主義により近代化したと言う事は、合理化し現実的に物事を捉えなければならず、唯物的ともいえる。

つまり、精神性無視なのだが、精神性無視の時点で「道」は死ぬし、当然「相撲道」とは当時の「武士道」と同じく、徳目と言った学問になってしまい、全く当時の人々ですら即さなくなった。

脱線するが、現在に至るプロ野球の様な

「紳士たれ」と「品格」は同じくらい出鱈目で、何の事か分らず吹聴されがちで、そもそも、明治時代においても学問レベルの「武士道」なら、もう現代人には絶対に理解されるはずも無い。

当然、理解してない者が言う「品格」に品など無いし、「紳士」とは「武士道」由来であるし、ジェントルとは「武士道」であるのも当たり前である。


***** |**前
白鳳を擁護というか、外国人擁護をしてる人たちは
日本に入ってきた外国人に日本の文化、風習を外国人に合わせるって考えを良しとするの?



返信

take0606 |**前
バカバカしい。めんどくさいよ。どうであれ、外国人力士は批判にさらされるのであろう。

低迷大相撲のヒール役外国人相撲レスラーを雇い、毎度毎度の「ヒンカック」で議論を過熱させのエンドレスで生きながらえているプロレスではないか、之では。

本気で、問題だと思うなら、定義づけ明文化しなければ、エンドレスだし、ネットの相撲関連の意識高い系以外「品格」などの認識は成熟しないよ。

「女性の品格」「国家の品格」と言った本が売れた位だから、なんの事やら層が、ほぼほぼ、であり。まだ挙げたモノに目を通す意識の高さ位は持ち合わせているのであるのなら、その人たちは大丈夫とも思うが、「品格」など興味も素養も無い人たちだらけで、ただ、メディアで騒いでいるから、鵜呑みにしてご近所さんと話したいだけの層。参加した感に浸りたいだけの、つまり、これはB層なのである。

(原文ママ)

つづきはこちら
鼻たれの「品格」と「紳士たれ」 ~「道」とは過程である~





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