「M1グランプリ2018」の動画を見る事ができた |M-1王者・霜降り明星 大阪凱旋ライブは涙・涙・涙

take0606

2018/12/05

M-1王者・霜降り明星 大阪凱旋ライブは涙・涙・涙 - FNN.jpプライムオンライン

めざましテレビ 「M-1グランプリ2018」優勝のお笑いコンビ霜降り明星 優勝後初めて観客の前で凱旋ライブ "母校"ともいえる劇場で感極まり、漫才もトークも涙止まらず 今年の「M-1グランプリ」で優勝


「M1グランプリ2018」の動画を見る事ができた

 別居状態のツレから電話があり、「M1グランプリ2018」の話題となった。

 放送当日は、諸事情により、途中で席を外し、ヒトカラをしてくることとなった、相変わらずのボッチマンだったのだが、youtubeで「フルでアルよ!」と言うことなので、見ることにした。

 昨日と今日に分けて、見ることができた。彼女が言っていた通り、僕個人としても、楽しい時間を過ごすことが出来た。もちろん、各コンビごとに思うことはあったのだけども、その話はいずれどこかで出来たらうれしいな、とは思います。

 それとは別として、お笑いについて少し考えてみました。ずぶの素人ながら考えてみたのです。

「理」を働かせてはいけない...

 最近、とくに思うこととしては、「理」を働かせて見てはいけないのだろうな、と考えている。僕個人の近頃の心境としても、全く良くない。お笑いに限らず、映画も、ドラマ、小説、音楽、へたをするとスポーツまでも良くない。「理」を働かせて、見聞きするとひとつも良くない。理屈を働かせて、それらを見聞きすると、つまらない気持ちになるのが現状のようです。なので、考えない。「情」を働かせる。情緒的になる。その様にする事で、あらゆるメディアや、スポーツまでも楽しめることが出来るようです。現状の僕は、それがあっているようです。

 現実、合理的に、文化的なものを見ようとすることで破綻する。そんな感じのようです。

 文化を消費することで、心までも消費していく。たしかに、文化とは心のことを言っているのだと考えてよく、カタチはない。が、人が生きている世界は、すべてリアル。人が苦しみ、人が大けがをする。ひとつ間違えると、命まで落とす。

 笑いが起きる状況とは、「理」を優位にさせていない、と言うことなのではないのか。情を働かせることで、優位にすることで、笑いに変えることが出来るのではないのか。なさけをかける事で、自然と笑顔になるのではないのか。情を通わせることで自然と笑顔になっていくのではないのか。それは、テクニックではないのではないか、と考えている。

 もちろん、プロの芸人さんは、百も承知で、舞台に立っているものと思うし、ましてや、審査員席のベテラン芸人さんはなおのこと。

大笑いしているなら、“優しさ”

 「理」を働かせることで、審査ができる。芸に点数をつけることができる。文化とは、心とは、数字といった値で表すことが出来ないにも関わらず、理屈を働かせることで、心に文化に、お笑いに、点数をつける事ができる。だからこそ、ベテラン芸人ほど、真に面白いと、唸らせるような、芸には、大きな笑いが起きないのではないか。

 真正面から、その芸を捉えたい所作なのではないのか。真っすぐ捉える。簡単には笑わない。

 ...捉えられなくなるから。

 おそらく、大笑いしているなら、“優しさ”なのだろうな、と個人的には理解している。真に面白いと思っているなら、多くを語らず、静かに高得点をつけるような感じもする。

 ...ただ、それでは、番組的には、つまらなそうだし、テレビ的ではないけど、そういう感じなのだろうと個人的には、動画を見ながら思った。

 ひとまず、そんな感じです(*‘ω‘ *)

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Posted bytake0606

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