サッカーはコミュニケーションのスポーツ |誤解のない送受信ができる者は黙ってても信用も信頼もされる

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2018/06/27
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くロシアの地でサッカー日本代表が熱戦を繰り広げている。

 「2018 FIFAワールドカップ」ロシア大会が6月14日から開催され、予選グループHを1勝1話分けと1試合を残し、ポーランド戦の結果如何で決勝トーナメント進出が決まるところまでサッカー日本代表は駒を進めている。

 サッカーはコミュニケーションのスポーツともいわれている。

 それは、選手同士のイメージ共有には、正しいコミュニケーションが必要となるからだ。この点で、野球と決定的な違いがあるのかもしれない。

 野球はコミュニケーションがあまり必要とされない。

 野球は個のスポーツだからだ。

 極論を言えば、強烈な個性を持ったもの9人さえいれば勝てる競技と言えるだろう。が、サッカーは違う。強い個も必要だが、個性を持った強い個が結びつくためのコミュニケーションが必要となる。

 では、強い個とは何か、また組織においての個、その個を国と置き換えて考えると、
 
 個とは国柄。それは文化。日本においては日本の心。それは、各々の国の文化を尊重したうえで成り立つもの。

 組織なら、それが信用となるが、世界でも同様のことだろう。

 個性豊かな面々を互いに尊重し、理解する努力をし続ける事も必要となるし、そのための互いのコミュニケーションと、また、その為には素養も必要。

 送受信ともにしっかり誤解を減らすことの出来るコミュニケーションが必要となる。

 信用とは貴賤でも、富でも権威、権力でもない。

 送受信ともにしっかり誤解を減らすことの出来るコミュニケーションと、その為の努力を日々追及できる者は、自然と信用も信頼もされる。

 そうではなく、それらの努力をする事もなく、ただただ、相手を拒絶し、差別などで不自由を与えることを良しとする者など信用も信頼もされる筈がない。

 また、そんな人間と組みたくもないし、そんな国家でも駄目だ。

 人も国も強さを追求しつつ、信用に値するものと組まなければならないし、そう言った個なら必死になって語りかけるべきだ。

 そう言った、信用に値する個なら、死ぬ気で素養を身に着け、死ぬ気で語りかけるべきだ。

 人だけではなく、日本もそういった国でなければならないし、追求し続けなければならない。




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