寛容・不寛容とは、むやみに許すことではなく、しっかり理解することと忍耐強さ 5/7追記 安直さを憎んでこそ寛容と言えないか

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2018/05/07更新
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目次

 ▶「寛容」と「不寛容」について
   ・理解力と忍耐力に他ならない 
   ・理解がないと無自覚に傷つける
   ・安易に相手を許すことは理解でも優しさでもない
 ▶男女で「寛容」の理解に差異がある
   ・自身を守るための能力 
   ・本来、男性は話をすることが得意
   ・女性のほうが寛容と言えそう

 ▶理解がなくとも、情緒を優位にすれば...
   ・理ではなく情緒で...
   ・理にかなわない存在だからこそ美しくおもう心

 ▶安直さや簡単さを憎んでこそ寛容と言えないか
   ・安直さこそ無理解、不寛容
   ・好き嫌いどちらでも、思い考え抜いてこそ



「寛容」と「不寛容」について

理解力と忍耐力に他ならない

 容、不寛容という言葉がある。許す・許さない、優しい・優しくないと言い換えることができるだろうか。

 理解・誤解という言葉もあると思うが、単刀直入に話すとすると、寛容さとは、理解力と忍耐力以外にない。理解力が高ければ、むやみに相手を誤解することもない。

 理解とは頭でするが、そのためには、どうであれ情報に置き換えることを迫られる。情報とは文字と言った言語であり、言語でこその理解となる。相手を理解するため、言語を使ってのコミュニケーションにより、“寛容・不寛容”と言った話となる。逆に言うと、理解なしに寛容・不寛容があるはずもない。

理解がないと無自覚に傷つける


 例を挙げるとするなら、いわゆる“失礼天然”が当てはまるのだろう。

 本人に自覚がないから、失礼な言動に気づけないし、自覚がないから指摘されても理解も、直すこともできない。これは、優しくないし、不寛容に他ならない。

 ただ、いわゆる“失礼天然”は悪い人間でもなかったりするから、これも、誤解だったりするのだろう。が、やはり無自覚や理解力の低さとは不寛容であり、逆に自覚があり理解もある不寛容とは、寛容さである可能性すら出てくる。

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安易に相手を許すことは理解でも優しさでもない


 寛容であることは、相手の良い部分、悪い部分をしっかり捉えて見ることが必要となり、誤魔化さず捉えることをしなければ理解とはならない。また、相手の悪い部分をしっかり理解し、許す作業を忍耐強く、繰り返し行うことが寛容さであり、大人とも言える。

 安易に相手を許すと言う行為では理解とならないし、良い部分まで見誤る事に繋がりかねない。それでは、ちっとも優しくはないし、安易・安直さとは、やはり子供の所作と言えるかもしれない。


男女で「寛容」の理解に差異がある

自身を守るための能力


 女性にとって、自身を守るためのコミュニケーション能力は必須ともいえる。その能力は、男性を見抜くためにも必要となる。

 オキシトシンの影響からか、協調性を重視し、共同体の意識も強い。また、人と人のつながりを大事にし、そのつながりを保つため、相手がどのような人間か確認する作業が必要となる。その確認作業の手段がコミュニケーションであり、いかに関係性や共同体を形成、維持するかが主眼となっている。

 また、女性のほうが大人になるのがはやいと言われるが、コミュニケーション能力の事を言っている。小学校高学年あたりから、急に大人びた発言をしだすが、このことを言っている。

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 では、男性はと言うと、関係性や共同体と言った組織で、いかに優位に立てるかがメインで、太古の昔なら獲物を捕るため、現在なら出世のためと言ったところなのだろう。理詰めで論理的に考えることも女性との比較で得意としている。

 つまり、男性のコミュニケーションとは、理論立てて話すことにより、相手よりも優位に立ち、出世することや言い負かすこと、または、問題解決と言ったところが主眼となっているのだろう。議論好きもこの為か。対女性で言うなら、男性を見抜くための値踏みを突破する為かもしれない。

本来、男性は話をすることが得意


 本来、男性は話をすることが得意であり、筋道を立てて話すのも得意だ。面白い芸人さんが多いのも、この為なのだろう。反面、協調性に欠け、共同体の中で上手に身を処すのが苦手。

 おそらく、女性が求める男性のコミュニケーション能力とは、議論で言い負かすことの得手・不得手ではなく、共同体の中で上手に身を処す能力の高さ、つまり、女性と同様のコミュニケーション能力を求めていて、共同体を維持する能力の高さのことなのだろう。

 また、女性が言う“やさしい”とは、寛容・不寛容といった堅苦しいものでもなく、共同体の中で上手に身を処し誤解を生まない態度とそのコミュニケーションを言っている。

 男性が思う“やさしい”と、そのコミュニケーションとも違うのかもしれない。

女性のほうが寛容と言えそう


 これらの点からも、女性のほうが寛容と言えそうだ。保育士は女性に向いた職業なのだろうと考えられるし、子育てはできる限り女性の手でとも思う。ただ、向き不向きの話なのだし、全てとまでは言わない。

 主観と断りをして話を進めるなら、女性が道理を説くことを見るのが苦手で好きじゃない。可愛らしいとも思わないし、そんな人が母親なのも嫌だ。理を説くことは男性に任せて、寛容さで接してほしいと思うね。

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理解がなくとも、情緒を優位にすれば...

理ではなく情緒で...


 理解がなくとも、寛容であることができる。それは、理を優位にさせることではなく、情緒といった心で接することであり、本来、日本人が得意とするところでもあった。

 ただ、日本という国は、年々、欧米化してゆくことが顕著であり、理屈で万物を見るようになってしまった。合理的や現実的というのがまさしくそれで、理に適う、適わないなどといった言い方をしたりもする。

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理にかなわない存在だからこそ美しくおもう心


 理にかなわない存在だからこそ、排除すべきではない。もののあはれや惻隠の情といった情緒で接してこそ、寛容であったり、優しくあれたりするのではないのか。

 また、想像力も寛容や優しさのひとつなのだろう。“察する”という日本的な部分だと思うが、“言われなければ気づかない”事からは、寛容さや優しさなどは感じない。

 「何故、その時言わないの」と、とぼけたことを言ったりもするが、まったく優しくないし、心がない。

 想像して、「辛そうかな...声かけようかな...」と相手を思うことが優しさなのだし、もし、現在の日本人が苦手とするなら、分かりやすいものを好みすぎる事が原因なのだと思うが。


安直さや簡単さを憎んでこそ寛容と言えないか

安直さこそ無理解、不寛容


 相手のことが嫌いだったとして、

 「嫌いだからキライ!」と紋切り型で片付けていくのは簡単だが、そうではなく、たとえば「何故キライなのか」「どこがキライなのか」.....と、嫌いな相手の事をトコトン考えてみる。
 
 もちろん、いくら考えてもキライなことには変わらない場合もあるが、そうでは無く許せてしまうこともある。

 「お前のこと大嫌い!」をトコトン貫き、相手を思い考え抜くと許せてしまうこともある。

好き嫌いどちらでも、思い考え抜いてこそ


 理解とは、つねに誤解の総体であったとして、また、相手のことが好きであれ、キライであれ、または、理解、誤解に関わらず、相手を思い続け、考え続けてこその寛容さや理解とも言える。

 逆に、安直なスキ、キライは、寛容でも理解でも無い。安直にスキ、キライをする人は、また安直に、ひと月後に正反対のことを言っている。

 それは、不寛容だし無理解とも言える。

 寛容さや理解とは、相手を考えることや思うことを忍耐強く続けるほか無い。また、それは、誤解であったとしても、粘り強く相手のことを考え思うことは、理解に他ならないとは言えないか。

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