大衆化とは陳腐化らしい。 ~今井議員ツイート炎上「批判なきに批判」 備忘録~

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Bytake0606

2018/04/12更新
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大衆化とは陳腐化である


「モノ」から「コト」とはSNS時代らしい発想
 味がありげで価値のありそうなものも大衆化すると、どうであれ陳腐化し取るに足らない、つまらないものとなる。新しい価値が生まれては陳腐化し、そして、それを繰り返していくものでもある。

 インターネット時代となり、PCで意味がありげで、価値のありそうなものも複製され、なお意味ありげな、価値のありそうなテキストを書いていた人々の「言葉」も、SNS上で陳腐化し続けていく。

 つまり、「言葉」自体が陳腐化していく事と同意であり、意味がありげで、価値のありそうなものとは、そのまま陳腐になっていくさまとなる。

 そして、それは文言よりも行動ありき、「モノ」から「コト」と言った、SNS時代らしい発想となっていく。

 「言葉」とは大して意味もないのかも知れない。

 SNS時代になり、誰でも発信できるようになり、なお、意味がありげで価値のありそうなものはコピペで瞬時に拡散される。そして、瞬く間に平均化されweb上に飲み込まれ、陳腐化されていく。

スマホ・タブレットは消費型


 味がありげで、価値のありそうなものとは多様であり、コンテンツが膨大になるほど、その多様で膨大なものから、自分が本当に求めているもの、必要なものを探し出すことが重要となる。

 本来、大衆とはコンテンツを作り出す側にいるのではなく消費する側にいる。それは、使用する端末がPCよりもスマホやタブレットに代わっていく事が端的に表していて、生産から消費にシフトした事からも現れている。

 つまり、スマホやタブレットとは消費型端末であり、消費された途端にコンテンツは陳腐化する。コンテンツの価値や質を維持し続ける事の難しさとは、そのまま異様に加速度のついたインターネット時代が理由と言える。

知行合一とはSNS時代だから必要


 うであれ、行動の人でありたいと思う。

 「言葉」が価値を失いつつある。「言葉」は瞬時に陳腐化される。ただ、それは陳腐な言葉を吐くことに問題があるのでもなく、「知行合一 (ちぎょうごういつ)」できない事が問題でもある。

 つまり、「言葉」と言った知識とは、web上に拡散するだけでは意味がなく、それは思想と言った自分自身の価値観を磨くこと、生きる知恵を磨くことをしてこそ意味も価値も生まれ、それは、そのまま自分自身を磨くことに繋がる。

 それは、当然、「知行合一(ちぎょうごういつ)」と言った「知は行の始なり、行は知の成るなり」「行動を伴わない知識は未完成である」にも、適う話である。

 言ったならやれよ。できないなら言うなということでもある。
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