川谷絵音はロック。そして、アイドルオタクもロックである可能性  備忘録

take0606

2018/04/27更新
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2015年頃 ゲスの極み乙女。       


トヨタ「スペイド」と「ポルテ」CM ゲスの極み乙女。       


アイドルは“モノ”ではない

激情型ドルヲタは読まずに直帰でお願いしますね


 うことがあるとするなら、ドルヲタというものは、その対象に対し可愛さや若さといった価値を求めます。そして、この若さというものの中に純潔性などの価値観も含まれます。

 まぁ、わからなくも無い話ではありますね。

 ただ、ヲタは、自身の未熟な“精神性”と“物資性”を磨かず、対象にだけには、それらの事柄を求めるなどといった間抜けな事を続けているのです。

 また、ネットにおいても、同じような事柄を疑いもせず繰り返し、ストークしたり、批判をしたりもします。また、そのことを少しも疑問にも思わない。



では、ドルオタを理解する作業をしてみる


 し口が過ぎたみたいなので、理解する作業をしてみます。ポスターサーベルでどつかれるの嫌ですからね(^_^;) 
 
 CD手裏剣も怖いし...

 僕も、可愛いさ、若さといった価値観は、同様に理解できます。元気で可愛い子が嫌いな人間がいるはず無い。

 ただ、それだけに価値を求めるのだとしたなら、情けない話だと思うし、大好きで、応援しているアイドルの心を見ずに“モノ”としてみている所作に思うね。

 それは、どう言うことかというと、新しいモノが必ず価値があり、古いモノには価値がないとの、“物質性”優位の考えそのもので、ヲタ自身、認識はしてないにせよ対象を“モノ”と見てしまっていると同じ。

 ただ、それは本来の日本の心に準じた保守的な考え方では無く、戦後日本の価値観ともいえますね。

 では、反対に、上述の“モノ”優位の価値観を向けてヲタ自身を判断してしまうと、ヲタそのものが自己崩壊しかねない存在否定に繋がる可能性も秘めているわけです。

 ま、なかには2ちゃん慣れした煽り耐性の強いヲタも存在しそうなので、これが、真のモノノフと呼ぶらしいです。嘘です。

 いずれにせよ、出来る限り、“モノ”優位のつまらない価値観は捨てた方が良いと思いますね。

美しいものが好き。ただ、醜いものを理解できない心


 前提として、オールブサイクですよw
 
 自身も含め基本的にブサイクな世の中で、なおかつ、加齢とともに、容姿が衰えていくのは当たり前のこと。

 それでもなお、自分自身はかえりみず、無批判にアイドルの可愛さ、若さといった“モノ”だけに価値を見いだそうとするなら、彼らは、何か別の世界で生き続けている人達なのだなと感じますし、この手のタイプの人達と、話がかみ合うはずも無いでつ。

川谷絵音はロックである



 経済を最優先に利益を追求するならば、マジョリティーである大衆に訴求せねばならず、その在りようとは、売り上げのみに価値を見出すことで、売り上げ上位の為に、心を売る行為と言っていい。つまり、心を売る事こそ「ポップ」と言いかえることもできる。

 当然、利益至上の為の音楽とは「ロック」に非ずなのだし、自身があるがままに生きたことから、紡がれていく以外「ロック」とは言えない。それ以外、全部、ポピュラー音楽でいい。

 文明側の価値観は「ポップ」といえる。また、文化側の価値観は「ロック」と言っても間違いではない。

 本来、音楽とは「文化」に属する。言わば「心」。「心」を重視してこその音楽。決して「モノ」ではない。



植え付けられた価値観は捨てる

ドルヲタとアイドルビジネスは鏡


 もそも、ドルヲタやジャニヲタというものは、精神性が高いと言えない。

 また、己自身の幼稚性を受け入れられていないのだとしたら、どれだけ、未熟なのかとも思うし、その程度の人たちに、あれやこれや言われたくは無いと思うのが、真っ当で、普遍的な認識といえる。

 ドルヲタの中でもヤバい奴がノイジーマイノリティーとしてアイドルを批判したりもする。当然、その位の幼稚性だからこそのドルヲタ。

 また、それらのヤバヲタを相手にしなければならないアイドルビジネスなのだから、そのビジネス自体に倫理観を求めるのも筋違いに思う。

 ドルヲタとアイドルビジネスが鏡であるのも当たり前のこと。

プロレスと考えられないセンス



 アイドルグループの女子が結婚宣言をしたとして、その行動自体に批判を繰り返すドルヲタとは、なんなのかとも思うの。

 非交際を信じ込んでいるのか。プロレスだとも思って楽しめないのか、と思う。

 流石にアイドルに執着し過ぎだし、過ぎるから幻想を抱くのだろうか。だからこそ、許せなくもなるのか。

 しかし、自身をかえりみず、ただただ、鏡である筈の対象を批判するのに明け暮れるのは、どうしたものかとも思う。また、その行為自体、自身の未熟さを示してもいるし、それこそ嫌ならドルヲタなど辞めれば良いのにとも感じるが。

 が、めぼしい、新しい女の子にしがみ付き、なおかつ批判していた筈のアイドルビジネスにも依存する中二男子反抗期風情を繰り返す幼稚性。

 ただただ、アイドルの“心”を無視し“モノ”として見るありようには閉口するが...。

 アイドルとは文化。文化とは“心”と言った精神性に重きを置く。

 物質性である価値観。つまり“モノ”である、現実、合理的判断では無く“心”に準じた決断を下した子を断罪する様には....やはり、“心”を無視し“モノ”としての機能性としてしか、アイドルを見ていないのだろう。残念だね。

文化に生きる人間はサラリーマンでない

アイドルもロックミュージシャンもサラリーマンではないよ


 ラリーマンとは、日本における会社員(正規雇用)を現わす用語で、民間企業に勤める給与所得者のうち、役員や専門職(医師・弁護士など)を除いた者である。と、いきなり答えを出してしまいましたが、これを言いたかったわけではありません。

 サラリーマンとは「文明」側に所属しています。「都会」「経済」「現実的」「合理的」「効率的」「モノ」.....云々。

 どうであれ、物質性を重んじます。

 文明社会に生きる人間がルールを守らずに行動を起こしたら、当然、秩序が壊れます。秩序も文明側の言葉で、「モノ」が壊れるのはまずい。文明社会が成り立たなくなる。

 よって、彼らは、“サラリーマンでない人間”の無秩序が許せない。

 対する。アイドル、ロックミュージシャン、芸人....云々の芸能で生きる人間はサラリーマンではない。

 文化側に所属します。「理想的」「非合理」「観念的」「唯心的」「歴史」「伝統」「心」........云々。

 つまり精神性を重んじる。サラリーマンとは対極にあります。

 サラリーマンのルールで縛る事の難しい存在が、アイドル、ロックミュージシャン、芸人の芸能で生きる人々なのです。

 補足しますと、ビジネスアイドル、ビジネスロック、ビジネス芸人は矛盾をはらんでいます。本来の意味からすると認めてはいけない存在です。憎むべきはこちらです。

ドルヲタはロックである可能性


 イドルビジネスは文明側の価値観で、「経済」「効率」「現実的」「合理的」といったものを重視して判断しなければ、ビジネスとして成立しない。そして、それは体制側の価値観でもある。

 逆に「経済」「効率」「現実的」「合理的」からは逸脱するドルヲタとは反体制で反権威、反権力ではないだろうか。

 無理くりかな...だってポスターサーベルでどつかれたくないでしょ(^_^;)

 ただ、見ようによっては生き様が「ロック」かも知れないね。

 また、万人に言える事ではあるけれども、相手に振り向いてもらうには自分自身に植え付けられたクソみたいな価値観のクソ個性でないようにすべきだし、自分自身が大事にしていることを信じ抜いて、ブレずに続けること。
 
 少なくとも、それから相手に語りかけるべき。その方がカッコいいし、「ロック」であると言えるかもしれないね。

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