川谷絵音はロック。そして、アイドルオタクもロックである可能性。

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Bytake0606

2017/12/19更新
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2015年頃 ゲスの極み乙女。



トヨタ「スペイド」と「ポルテ」CM ゲスの極み乙女。






アイドルは「モノ」ではない


■激情型ドルヲタは読まずに直帰で


思うにドルヲタというものは、対象に対し可愛さや若さといった価値を求めます。そして、この若さというものの中に純潔性などの価値観も当然、含まれます。

まぁ、わからなくも無い話ではあります。

ただ、やはり、ヲタ自身の未熟な「精神性」と「物資性」を磨かず、相手だけには、それらの価値観を求めるなどといった間抜けな事を続けているのです。

ネット上においても同じ事を疑いもせず繰り返し、ストークしたり、批判をしたりもします。そして、そのことを少しも疑問にも思わない。

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■理解する作業をしてみる


いやいや、口が過ぎたので、理解する作業をしてみます。

可愛いさ、若さといった価値観は理解できます。確かに、元気で可愛い子が嫌いな人間がいるはずも無い。

ただ、それだけに価値を求めるのだとしたなら、情けない話でもあるし、大好きである筈のアイドルの心を見ず「モノ」としてみている所作にほからなない。

つまりそれは、新しいものが必ずしも価値があり、古いものには価値がないとの、「物質性」優位の考えそのものであり、認識はしてないにせよ、対象を「モノ」と考えることになっている。

ただ、それは植え付けられた、戦後日本の価値観でもありますが...。

逆に、ヲタ自身にこの価値観を向けて判断してしまうと、ヲタの存在否定に繋がる可能性も秘めているわけで、出来る限り、これらのつまらない価値観は捨てた方が良い。

ただ、恐らくその様な考えにも至らないのであるから、無批判にドルヲタを続けていられるのであり、彼らに、自分自身を正当化してまでも、続けてもらわなければ維持できないのがアイドルビジネスという側面もあるのかも知れない。



■美しいものが好き。ただ、醜いものを理解しない


前提として、基本的に自身というものは美醜においては醜であり、なおかつ、歳を重ねていく中で、容姿が衰えていくのは当たり前の事。

それでもなお、自分自身は顧みず、無批判にアイドルの可愛さ、若さといった「物質性」だけに価値を求め続けるのであるのならば、彼らは、何か別の世界で生き続けている人達なのだなと感じるし、この手のタイプの人と、話がかみ合うはずも無い。



■川谷絵音はロックである


経済を最優先に、利益を追求するならば、マジョリティーである大衆に訴求せねばならず、その在りようは、売り上げのみに価値を見出すことでもあり、売り上げ上位の為に、心を売る行為と言っていい。つまり、心を売る事こそ「ポップ」と言いかえることもできる。

当然、利益至上の為の音楽とは「ロック」に非ずなのだし、自身があるがままに生きたことから、紡がれていく以外「ロック」とは言えない。それ以外、全部、ポピュラー音楽でいい。

文明側の価値観は「ポップ」といえる。また、文化側の価値観は「ロック」と言っても間違いではない。

本来、音楽とは「文化」に属する。言わば「心」。「心」を重視してこその音楽。決して「モノ」ではない。

引用 - 「日本である事の価値」
自由を追求しない者がロックなわけないだろう -流行りに囚われない事-

http://take0606.jp/blog-entry-150.html





植え付けられた価値観は捨てる


■ドルヲタとアイドルビジネスは鏡


そもそも、ドルヲタやジャニヲタというものは、精神性においても、とてもではないが高いとは思えない。そして、彼らが、己自身の幼稚性を受け入れられていないのだとしたら、どれだけ未熟なのかも思うし、その程度の人たちに、あれやこれや言われたくは無いと思うのが、真っ当で、普遍的な認識といえる。

ドルヲタの人々の中でもヤバい奴がノイジーマイノリティーとしてアイドルを批判したりもする。当然、その位の幼稚性だからこそのドルヲタなのだし、それらの人々を相手にしなければならないアイドルビジネスなのだから、そのビジネス自体に倫理観を求めるのも筋違いに思う。ドルヲタとアイドルビジネスが鏡であるのも当然の事。


■プロレスと考えられないセンス


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某アイドルグループの女子が結婚宣言したとして、その行動自体に批判を繰り返すドルヲタとは、なんなのかとも思う。非交際を信じ込んでいるのか。プロレスだとも思って楽しめないのか、と思う。

流石に対アイドルに執着し過ぎだし、過ぎるから幻想を抱くのであろうか。だからこそ、許せなくもなるのか。

しかし、自身を顧みず、ただただ、鏡である筈の対象を批判するのに明け暮れるのは、どうしたものかとも思う。そして、それは己自身の未熟さを示してもいるし、それこそ嫌ならドルヲタなど辞めれば良いのにとも思う。が、新しい女の子にしがみ付き、なおかつ批判していた筈のアイドルビジネスにも依存する中二男子反抗期風情を繰り返す幼稚性。


ただただ、アイドルの「心」を無視し「モノ」として見る様には閉口するが...。

アイドルとは本来「文化」側で、「文化」「心」と言った「精神性」を重視するのである。


「物質性」である価値観、つまり「モノ」「現実的」「合理的」「経済」を重んじる事無く、「精神性」を重視し、判断した子を断罪する様には....やはり、「心」を無視し「モノ」としての機能性としてしかアイドルを見ていないのだろう。残念だよね。



文化に生きる人間はサラリーマンでない


■アイドルもロックミュージシャンもサラリーマンではない


サラリーマンとは、日本における会社員(正規雇用)を現わす用語で、民間企業に勤める給与所得者のうち、役員や専門職(医師・弁護士など)を除いた者である。と、いきなり答えを出してしまいましたが、これを言いたかったわけではありません。

サラリーマンとは「文明」側に所属しています。「都会」「経済」「現実的」「合理的」「効率的」「モノ」.....云々。

まぁ、物質性を重んじます。うん、理解できます。文明社会に生きる人間がルールを守らずに行動を起こしたら、当然、秩序が壊れます。勿論、秩序も「文明」側の言葉なのですが。「モノ」が壊れるのはまずい。「文明」社会が成り立たなくなる。よって、彼らはサラリーマンでない人間の「無秩序」が許せない。

対する、アイドル、ロックミュージシャン、芸人....云々の芸能で生きる人はサラリーマンではない。どちらかと言えば「文化」側に所属します。「理想的」「非合理」「観念的」「唯心的」「歴史」「伝統」「心」........云々。つまり精神性を重んじる。サラリーマンとは対極にあります。

サラリーマンのルールで縛る事の難しい存在が、アイドル、ロックミュージシャン、芸人....云々の芸能で生きる人々なのです。

補足しますと、ビジネスアイドル、ビジネスロック、ビジネス芸人は矛盾をはらんでいます。本来の意味からすると認めてはいけない存在です。寧ろ憎むべきはこちらです。


■ドルヲタとはロックである可能性


アイドルビジネスは「文明」側の価値観な訳で、当然、「経済」「効率」「現実的」「合理的」といったものを重視し、判断しなければ、ビジネスとして成立しない。そして、勿論、それは体制側の価値観でもある。逆に「経済」「効率」「現実的」「合理的」からは逸脱するドルヲタとは反体制で反権威、反権力ではないだろうか。無理くりかな...。

見ようによっては生き様が「ロック」かも知れないね。

万人に言える事ではあるけれども、相手に振り向いてもらうには己自身が植え付けられた糞みたいな価値観の糞個性でないようにすべきだし、少なくとも、それから相手に語りかけるべきだよ。その方がカッコいいし、「ロック」であると言えるかもしれないね。



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