日本文化が文明に屈したのか 「アニメ業界、“日中”逆転のタイムリミット 日本人アニメーター“海外流出”危機も」問題   備忘録 更新5/14

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2018/05/14更新
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お題
アニメ業界、“日中”逆転のタイムリミット 日本人アニメーター“海外流出”危機も    


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アニメとは心を自由にしてこそ

アニミズム由来だからか


 守思想とアニメーションは密接な関係であり、切っても切り離せない。

 日本には古来から、アニミズム思想と言うものがあり、自然の中に精霊や魂、神様が宿ると考えられていた。

 その様々なところに神様が宿るさまから、「八百万の神々」と呼ぶこととなるが、そのアニミズム由来からなるアニメだからかは分からないが、アニメーターに対しても精神論が幅を利かせる皮肉。

 日本の“心”に準ずることが保守のありようとなることから、心の自由を追求してこその保守とも言える。また、アニメーションと神道は一対と考えると、多様性と寛容さがアニメと言えるかもしれないし、それは、日本の歴史と伝統文化とも言える。

 同時に、他者が自由を追及しているのだとしたなら、多様性を認め、寛容さで接してこその保守思想と言える。

 もし、彼らがその“心”を見ず、現実、合理を突き詰める唯物的なさまにより、“心”の自由を追求する日本の歴史と伝統文化を否定してくるなら、抗わなければならない。

 効率、経済的なさまを突き詰めての資本主義に抗わなければならない。

 でなければ、保守ではない。

新自由主義とはアニミズムの精神も破壊する


 自由主義は左翼的とも言われる

 それは、その国々に根付いた伝統文化や習慣、歴史、また人々の“心”をも蔑ろにしての経済発展を重視することと言えるからだ。

 業界自体もアニメーターの心より、利潤を追求する事のみに価値を見出しているのであったならば、これは、アニメーターの最低限の抵抗とも言える。

 現実、合理的な判断と精神性を重視することは対極と言える。現実、合理とは損得勘定と言い換えられる。また、結果至上とも言えるか。

 ただ、それは日本人の本来の“心”では無いように思う。同様にアニミズム精神由来のアニメまでもが“心”を失くしたなら、もう何も残ってないような気もするが...

「文化」が「文明」に屈すること

東京ビッグサイト問題同様に


 今の先進的事業の売却、先端技術や産業の海外移転といった、目先の利益を追求する事と同様の案件とも言える。

 つまり、利潤追求の為なら、アニメーターなどの労働者の心や、日本の心と言ってもいい、アニメや漫画、ゲームといったものを蔑ろにしても、痛みすら感じないさまとも言える。

 左翼由来の現実、合理的判断からの経済優先だったとして、また、それがアニメーターに対する搾取なのだとするならば、やはり、アニミズムの精神も破綻している。

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アニメと神道は一対


 ニメと神道は一対

 その在りようは保守的とも言えるし、日本における多様性と寛容さは保守思想といった、日本人の日々の営みそのものの中にあり、その連綿と続く営みそのものが日本の歴史と伝統文化となる。

 また、それが日本の宗教なのだろう。

 様々なものに神様が宿ると考えれられた心根を持つ日本人は、多様であり寛容。

 欧米から伝播するまでもなく、もともと、日本人はそれらの心を持っていた。が、アニメの制作現場において保守的といえる部分は精神論を押し付ける事のみ。

 アニメが心の自由を追及する事を軽んじるのであれば、何がアニメーションなのかとも思う。

 利益優先とばかりに現実、合理の判断を追求し、アニミズム精神性をも無視してのアニメーションが文化なのだとすると、果たして、それで人の心が打てるのだろうかと思うし、アニメが文明に屈したことと言えるかもしれない。

 また同様に、日本の伝統文化も欧米の価値に屈したといえるかもしれない。
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