SNSはあくまでもツールに過ぎないのかも知れない  マツコ、インスタグラムをやる人に「何が楽しいの?」問題 -備忘録-

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Bytake0606

2018/01/11更新
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マツコ、インスタグラムをやる人に「何が楽しいの?」

 12月4日に放送された『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系)で、マツコ・デラックスが「インスタグラムに写真をアップすることの楽しさ」についての疑問を語った。

 番組では、「1億2700万人をメジャーとマイナーに分類」というアンケート企画で、「インスタグラムをやる・やらない」を調査。街頭インタビューでインスタをやるかどうかを聞き、「なぜやるのか?」「なぜやらないのか?」など、街の声を集めた。

 「やる」と答えた人は、「(インスタに写真をアップするのは)自慢したい時」「(茨城在住だから東京に来たことを)自慢したくなっちゃうんですよ、友だちに」と、自分の人生の豊かさを自慢するために使っているらしい。反対に、「やらない」と答えた人は、「写真だけ取って捨てるみたいな、ああいうのが好きじゃない」と、インスタにアップするために食べ物を買い、食べずに捨てる人が少なくないことに嫌悪感を示すため、インスタをやらないという意見も聞かれた。

 アンケート結果では、インスタを「やる派は54名」で、「やらない派は46名」と、わずかに「やる派」が多いようだ。

 マツコは、昨今のインスタブームに「教えてほしいの、何が楽しいの?」と、なぜ多くの人がインスタに熱中するのか、番組観覧に来ていた人たちに問いかけた。「いいね!がもらえる」と答えた女性に、「いいね!がもらえると何が楽しいの?」といいね!をもらうことの価値を理解できないマツコ。さらに、「おいしいご飯の場所とか知れる」と答えた女性には、「食べログみたいなこと?じゃあ食べログでいいじゃないの」と、なかなかインスタの利便性にピンとこない様子だった。

 若者の行動になんでもかんでも「それの何が良いんだ!」とツッコむのは、若者を窮屈にしてしまうだけなのかもしれない。時代を作るのは往々にして若者なのだから、もう少し若者の“奇行”に寛容になっても良いのではないだろうか。

最終更新:12/6(水) 11:41
リアルライブ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171206-00000007-reallive-ent






あくまでもツール



理解できる話だとは思うし、確かにスノーとかいうアプリの動画は苦手。

正直、イラっと来るw


が、やはりインスタやツイッター、フェイスブックでも何でも良いのですが、SNSはあくまでもツールに過ぎない訳で、そのツールをいかに使い表現、または宣伝や集客云々と言った事をするか否かの話なだけで、そもそも、この話自体大げさと思う。

時間の問題で新しいツールが出る筈なのだし、スノーやインスタなど、他SNSも同様に永遠に存在するはずも無い。あくまでもツールとどう付き合っていくかの話で、問題視するような事でもないような気がする。


ツールをいかに駆使するかの話で、若い子なんてオシャレかオシャレじゃないかくらいの感覚しかない。

当然、ダサいとなれば、心が離れていくのもはやいのが若年層。



アウトプットが無いのも良いとは言えない



若い子がどうであれこうやって表現や意思表示することを、一方的に悪いとして封じ込めるのもおかしな話なのだし、年をとり本を読み漁るだけで、アウトプットが無いのだとしたならば、私見にはなるが、やはり、それも良い事とは言えないように思う。

読むだけで完結では価値が無いといえ、インプットしたものを自分の中で咀嚼、消化、かつ自分自身のモノとするからこそ、その在りよう、生きように反映されていくといえる。

つまり、思想そのモノと言いかえてもいい。


本来、思想とは自らわざわざ発信などする必要もないうえ、相手を打ち負かすモノですら無い。思想におけるアウトプットとは、いかに行動するかに尽きる。

知行合一のことと言えるのも確かなのだが...


SNSの存在理由



やはり、これも私見かも知れないがSNSの存在理由があるのだと考える。

それが、例えば新自由主義といった価値観を伝播するためのツールなのだとしたならば、ローカルが破壊されていく事は仕方がないと言える。また、一つの価値観で世界を覆うという事がSNSの本分なのだとしたら、ネットコミニュティすら破壊されると言えるかもしれない。

いや、むしろ、そう考えた方が良い。

SNSの本分が、一つの価値観で世界を覆うことを全うするであるなら、「叩き」や「荒らし」が通用しないとも言える。また、ヘイトが排除されるのもこれが理由と考えられる。

つまり、SNSの本分から取り残される人間すら、否定されるのかもしれない。


それが、いわゆるコミュ障批判が蔓延る理由と言えるかもしれないが、どうなのか...


乃木坂46 『インフルエンサー』


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「実名で発言しろ!」という価値観は理解できる。が、ことSNSにおいては完全には不可能だ。炎上芸で有名な某芸人のような後ろ盾も無く、守ってもらえることも無い。さらし者にされて終わりだ。これらの価値観は、一見正しい事を言っているように聞こえるが、一種の暴力といえるかも知れない。

「俺たちは力があるから実名で発言するが、お前らは無力で守る奴もいないだろ。黙っていろ!」というところなのだろう。

これは、ネットコミニュティの破壊ともいえるし、言論封殺といえる。

まぁ、そもそも、twitterも含めSNSそのものがコミニュティ破壊、ローカル破壊と言えるかもしれないが...。



当然、身近なリアル世界の人たちとの関係の中で気に入らない事があれば、我慢することなく、その関係性を破壊し、逃げるようにPCの向こう側の人々との関係性を重視する事のみに価値を見出すなら、やはり危険と思う。

それは、逃げるようにPCの向こう側の人々との関係性だけを重視するような人々は、そもそも、リアル世界での関係性の中で我慢することを鍛錬してこなかったことの所作であるから、もし、彼らが信じるPCの向こう側の人々の中で、違う価値観を持つ者が目の前に現れたらどうするのであろうか。

もう、彼らには逃げ場所などはない。どうするのだろうか。確かに、この点においては世界は小さくなったといえる。が、人と人の関係性はSNSなどの普及により、実は、ますます離れていっているように思う。



そして、twitterなどのSNSも同様として、時にドギツイ文言が飛び交ったりもする。当然、ドギツイ文言はキャッチーだし白熱もしやすい。

が、ただ、その在りようもやはり保守的とも言えず、自分自身の生きていく指針であったり価値判断であったりする思想を文言として振りかざし、心無い言葉を相手にぶつける姿など保守のフィールドでは本来なかった筈なのだが...。

やはり、ネットの普及により人との距離が格段に遠くなったような気がする。いっけん、時間も距離も飛び越えて行ける錯覚もあるが、そうでは無い、近づいても近づいても離れていくような気がする。

どこまで行っても、お互いに人の心には触れられないのかも知れない。



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