現代人とは、どれだけ暴力的かよく理解した。-松本人志、日馬富士を擁護 「土俵以外で暴力ダメは無理がある」問題 雑感-

2017/12/03公開

f:id:ktake0606:20171203160228j:plain



headlines.yahoo.co.jp




暴力とは物理的なものばかりでない


■安直に考えるから...


暴力とは物理的なものばかりではない。そんな、安直なものではない筈だし、安直に考えるからこそ、すぐに人を信用したり、または疑ったり、好きや嫌いになったりと簡単に擁護も批判も、ダブスタで展開する事も簡単にできてしまう。

当然、安直に考えるタイプの人は、好き、嫌いにせよ、本気度が薄い。

薄いからこそ、ミーハーともいえるし、メディア批判をしている割に嫌いな対象の批判記事は真偽を問わず、真に受け、批判に勝ち馬感覚で乗っかってしまい、B層感覚をも発揮してしまう。が、当然のことのように、その事をも疑わない。

take0606.jp




■B層であることを良しとしない筈では


B層であることを、良しとしないからこその某広告代理店批判だったかと思うし、だからこそのマスメディア批判ではなかったのか。

何故、旧媒体同様、ネット民も対象によりダブスタを発揮するのか。

好きな対象はどの様な言動でも正しく、嫌いな対象はすべて悪的な中二女子発想をするのか。


松本人志を批判したところで、身内を守りたいという、同様の事を多かれ少なかれ皆しているし、松本批判を展開しても意味がない。そもそも、旧媒体が問題なのだし、松本ですら、忖度しての発言かも知れないではないのか。


■いわゆる「報道しない自由」も暴力的


マスメディアの「報道するorしない自由」を使い分けるのも暴力的といえるし、日本人的な村八分価値観による、SNSを利用してでの、個人批判も同様に暴力的。

やはり、これらの暴力を防ぐのに、ルールで縛るのも無理があるから、なおの事、理性を重視しなければ防げるはずも無く、昨今、それらの暴力が目に余るなら、戦後日本の価値観が、連綿と続く歴史と伝統文化と乖離していることを示している。

「発想が昭和」と批判し馬鹿にしたところで、彼らのいう昭和とは決して日本的のモノではなく、ましてや、戦後の日本とはGHQ由来の「昭和の価値観」なだけで、アメリカ由来のアメリカ的価値観と言っていい。

つまり、日本人の価値観とは違うのだし、暴力である事を憎むなら、戦後の価値観すべて憎んだ方が良い。



と、ここまでは私見をざっくり述べたが...


■実際、口で言うのは簡単。だが...



真実など大して意味のない事なのかもしれないし、そもそも、真実などハナから無いのかも知れない。



そう思わせるほど、日本のメディアも信じられないし、モンゴル力士も信じられなければ、ファンが言う「横綱の品格」も同様に信じることもできない。

そんな時、『羅生門』という作品を思い出した。

芥川龍之介の短編小説で『藪の中』(1922)という作品がある。のちに黒澤明により『羅生門』のタイトルで映画化もされており、以下が、同作品により提示された事件の真相である。 ※詳しくは下記リンク記事

相手を疑うのも良いが、同様に自分も疑ってみればいいと思う。いうほど皆大差ない。-日馬富士暴行問題-

take0606.hateblo.jp



が、『羅生門』という作品は違った。 「絶対なんてないよ。真実なんて分かりっこないよ。」と問題提示されてしまったものだから、当時の時代背景もあいまって、世界中のインテリ層がこぞって見てしまったのだが、日本人にはピンとこない。

それもそう。 日本は多神教の国なのだし、あらゆるところに「神の視座」が点在していると認識していた。だから、尚更、「絶対なんてないよ。真実なんて分かりっこないよ。」と、慎ましく謙虚な感覚を持ち合わせていたと言える。

当然、絶対など無い、と相手と向き合えば、寛容でいられるし、相手も間違っているかもしれないが、自分も間違っているかもしれないと考えられる。 日本人にとっては、本来、当たり前の感覚だったはずなのだが、現代日本人が持ち合わせているようにも思えない。

「絶対なんてないよ。真実なんて分かりっこないよ。」と慎ましく謙虚な感覚を持ち合わせていれば、そもそも、ネット上においても相手を無根拠に罵倒することも無い。 まず、相手を疑うのも良いが、同様に自分も疑ってみれば、とも思うし、頭の出来なんて言うほど大差ない。それでも、なお自分だけ優れていると思うなら、病院で診てもらって方が良い。それは病気。


相手を疑うのも良いが、同様に自分も疑ってみればいいと思う。いうほど皆大差ない。-日馬富士暴行問題- - たけさんのzakki


■ただ、身内に甘くなってしまう...


もちろん、身内が可愛いに決まっているし、たとえ、間違っているのも分かっていても守りたくなる。

ただ、身内ならわかる話でもあるのだが、アカの他人が損得を考えずに、批判を恐れず守ろうとしているのであれば、美しいし、清原某が問題を起こし、すべてが彼から去った時に、大魔神、佐々木主浩は去らなかった。

彼に対しても、いろいろ言う人もいるが、少なくともこの件に関しては、損得の判断ではない。

もちろん、薬物は暴力同様、悪である事位知っている。

それは、普遍的な価値観だし、悪と捉える事は正しい。が、その程度の正義を振りかざし、数の暴力で個人を批判にさらすことは正しいとも思えない。




■じゃあ、お前もやれよ、となる


フェイクニュースやフェイクメディアがまかり通るからこそ、なおの事、言ったならやれよ、を徹底していかないと、すべての人々が出鱈目な発言と行動を繰り返すことの、ある一定の正当性を与える結果ともなる。


できれば、マスメディアがノブレスオブリージュを発揮し、率先して、実行してこその「高貴なるものの義務」なのだが、彼らも、また同様に、それをしない。


マスメディア由来の情報に、右往左往し、タブスタで、対象を批判する事を良しとしてしまい、また、それら権威、権力を無批判、無根拠に受け入れるのも大衆。また、誰でも理解するような正義で、数の暴力を振りかざし、個人批判にあけくれるのも大衆の心理といえる。


そんなもの、なにも正しくないし、

真実など大して意味のない事なのかもしれないし、そもそも、真実などハナから無いのかも知れない。

と理解していた、戦前の日本人の方が、よっぽど理性的で知的だし、非暴力。


現代人とは、非文化的で暴力的とならないか。


...と、そう思ったよ。馬券買おうと思っていたが、結果、買えなかったよ。

サイトマップ -お笑い- - お笑い

2017/12/03更新-お笑い-松本人志、日馬富士を擁護 「土俵以外で暴力ダメは無理がある」問題 雑感 - 相撲take0606.jp現代人とは、どれだけ暴力的かよく理解した。-松本人志、日馬富士を擁護 「土俵以外で暴力ダメは無理がある」問題 雑感- - お笑いtake0606.jpテレビ局の人間もサラリーマンであり、芸人には理解が難しい -ワイドナショー打ち切り騒動- - tvtake0606.jp松本人志とお笑いについてを、まだまだ語る with「松本」の「...


サイトマップ -相撲- - 相撲

2017/12/04更新■相撲松本人志、日馬富士を擁護 「土俵以外で暴力ダメは無理がある」問題 雑感 - 相撲take0606.jp現代人とは、どれだけ暴力的かよく理解した。-松本人志、日馬富士を擁護 「土俵以外で暴力ダメは無理がある」問題 雑感- - お笑いtake0606.jp道なき道を行く、相撲道 -スポーツと道の戦い- 日馬富士暴行問題 - 相撲take0606.jp横綱の品格をスポーツの価値観で裁く事に意味など無い - 相撲take0606.jp相撲好きに吹っか...




このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事

Comments 0

Leave a reply