道なき道を行く、相撲道  -スポーツと道の戦い- 日馬富士暴行問題

2017/11/17公開

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道なき者同士の戦い



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■国民総ブーメラン


結局、よく分からない。

実際、暴力や体罰的な事はあったのだろうとも思う。ただ、これも、相撲に限らずの事であり、それこそ高校野球などの学生スポーツにおいてもある事なのだろう。

当然、都合の良い時だけ、体罰、外国人力士の事、それこそ、品格を問題にしても意味がない。マスメディアが取り上げ騒いだところで、お前が言うなのブーメランなのだし、マスメディアに関わらず万事万物すべてにおいても、とも思う。

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■結果ありきが由来している


「スポーツ」における体罰とは、結果ありきが由来していると言っていい。もちろんプロフェッショナルなのだから当たり前なのだし、結果を出さなければ食べていけない。当然、勝てなければ人気も出ないし、人気が無ければ客も見に来ない。人気も無く、客も来ないなら、市場規模も小さくなるし、小さくなるなりにしか給金としての反映もされない。

「スポーツ」の価値観とは勝利する事が大前提なのだし、それ以外は弱い事の言い訳なだけと思った方が良い。当然、プロなら尚の事で、だらだら、手を抜いているプレイヤーなど見たくもない。

が、逆にいうと、結果ありきであるから、手を抜きまくり、なおかつ出鱈目で卑怯な生き方をしてまでも、勝てばいいのだろうと「勝てば官軍」といった、良くも悪くも日本的な価値観にある一定の正当性を与えてしまう事にもなっている。

だから尚更、出来もしない「紳士たれ」や「品格」が必要だったのだし、本来「スポーツ」の価値観である筈のプロ野球において、嘘でも「紳士たれ」を言わなければ、米国的な「スポーツ」の価値観に「道」が完全敗北する事にもなってしまう。ただ、これが読売球団の誤解のはじまりと言っても良いが、これは別の話。


■「スポーツ」対「道」


先の大戦とは、「スポーツ」対「道」と言いかえても良い。

勝つためにはあらゆるものを駆使し、圧倒的な物量により相手を屈服させようとしてきた米国。その圧倒的な物量に対し、小さな体に秘めた、武士としての勇猛果敢な心と農民としての粘り強さといった、精神力だけで太刀打ちした日本。

もちろん日本は負けた。そもそも、精神力だけでは限界がある。勝てるはずも無い。焼け野原となり、モノがなくなった。そんな世の中では、嘘でも「紳士たれ」を言い続けなければならない。モノがないのだから、なおの事ココロであれと嘘でも言い続けなければならない。

日本も戦後復興を遂げ、バブル崩壊...云々とネット時代に移り変わり、嘘である「紳士たれ」を受け入れられる寛容さすらなくなってしまった。


■プロレスだと思っていた方が...


やはり、野球や相撲は、プロレスだと思っていた方が良いのかも知れない。

相撲は特に思うが、あのような大柄な人間同士がガチンコでぶつかり合うなら、体が持つはずも無い。当然、力士としての寿命も短いし、スター力士の寿命が短いことなど、相撲ファンにとっても本望でないだろう。

相撲は日本の伝統レスリングと言えるし、プロレスと思った方が良い。

多少は、お互いさまで忖度すればいいと思う。ファンならそうあるべきと思うし、その方が「道」としての相撲が存続される。勝ってこその「スポーツ」の価値観を向けるのならば「横綱の品格」が嘘になる。

相撲とは、武士道の価値観なのだし、結果ありきの事をいっていない。重要視されるのは精神性だ。勝つためだけにトレーニングを積む「スポーツ」とは違う。己の心身向上が最重要なのだし、結果は二の次だ。当然、卑怯な事や、嘘をついてまで勝とうとも思わない。それが、武士道の価値観なのだし、本来の日本人の価値観のはずだ。

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■マスメディアは「スポーツ」


マスメディアは売り上げの為には、あらゆる手段を行使してくるのだし、売り上げが大前提というのも理解できる。当然、それも仕方のない事と思うから、なおの事消費者も、フェイクメディアのことを「スポーツ」由来のプロレスな存在が何か言ってやがるな♪位の感覚で向き合った方が良いかも知れない。

多かれ少なかれ総ブーメランなのだから。なおの事...。おすし


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