読売巨人軍対広島東洋とは「スポーツ」と「道」の戦いである。 

2017/09/20更新



読売が言う「紳士たれ」とは


-「紳士たれ」とは見た目なのか-

巨人入り山口「ジャイアンツ仕様」黒髪でヒゲもさっぱり
❝紳士たれ――。決意を示すように、山口は変身した。巨人入り決断から一夜。都内のホテルで取材に応じると、口ヒゲと顎ヒゲはきれいにそられていた。前髪が目にかかっていた茶髪も黒くして約10センチ短くなり、少し照れくさそうだった。❞
ガッツ2軍監督、巨人時代振り返り「特別に意識したことはない」
❝〈巨人は“生え抜き”のスターを抱える球界屈指の老舗で、ひげや茶髪は禁止。チームカラーがまったく違っていた〉❞

「紳士たれ」とは見た目の事なのか...。いや、なら見た目だけシッカリしていたら、どんな行動をしても良いと言う事になるが....。正力松太郎が言う「紳士たれ」の解釈がおかしくなっていないか。現代人の素養が問われることにはならないか。

外部リンク
巨人軍憲章、正力松太郎遺訓

おさらい
「道」.....精神性を重んじる。 理想的・非合理・唯心的・歴史・伝統・文化.....を重んじる。つまり「心」「過程」重視。
「スポーツ」.....物質性を重んじる。 現実的・合理的・唯物的・経済・効率・文明.....を重んじる。つまり「モノ」「結果」重視。

見た目ばかり気にする事は「物質性」を重んじる事である。そして、「スポーツ」は「結果」重視で、これらの考えは「モノ」「経済」である。つまり、「紳士」とは真逆。自覚しているからこその紳士「たれ」なのか。

「紳士」とは「道」.....精神性を重んじる事。理想的・非合理・唯心的・歴史・伝統・文化.....を貫けば「紳士」。「心」「過程」を重視する事。

もう少しいうと「紳士」とは「武士道精神」由来なのである。


-OBにおける「紳士たれ」の理解-

広岡達朗氏が清宮幸太郎の体格に「走れない選手はプロでは使えない」と苦言
❝清宮の体つきを見ると、ユニホーム姿がスマートじゃない。巨人の長嶋も王もスマートでした。清宮のようなタイプは巨人や阪神よりも、他のチームに入ってスターを目指す方がいいと思っています❞

なんと言うか前時代的あり、イメージだけでモノを言う様に苦笑する。走れないからと言いますが、逆に聞きたい。現状、読売に走れる選手がどの位いるのかとも思う.....。まぁ、この価値観自体は分からなくも無いので最低限受け入れるとして、「スマートで無いと読売球団にマッチしない」と言う価値観は物質的であり、先ほどまで精神論を語っていた様とは対極であるから、そのブレブレの様からは「紳士たれ」が理解できていない事がうかがえる。



「スポーツ」型読売と「道」型広島


-理解できる部分もある-

イメージ先行の考えや非科学的精神論と言った価値観とは、精神性を重んじる「道」。逆に科学的トレーニング、セイバーメトリクス全盛の昨今とは、物質性を重んじる「スポーツ」である。

寧ろ「紳士たれ」球団讀賣と自負するなら、前時代的価値観由来の精神論を貫いてこそ。古臭いと言われても伝統と歴史を誇るなら、やはり貫いてこそ。

前時代的価値観のご意見番が古い意見を述べたとして、其れを有り難がって拝聴している団塊世代以上が読売ファンのメイン層なのだろう。なぜなら、この手の価値観が通用するのは年配の方々だ。そして、訴求先を間違えているのなら、広岡達朗氏がご意見番としての職を失うのだが、どうやら、この手の意見を楽しみにしている層がいる。つまり、読売ファンは価値観において「精神性」を重視している事となる。

しかしながら、読売球団はどうであろうか。2017年に至るまで「スポーツ」の価値観を貫き、勝てば官軍とばかりに、結果だけを追い求めてきてしまった。つまり、読売球団とファンは価値観においては対極にある。混乱の原因だ。

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-広島球団は精神性重視-

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「読売巨人軍」とは「モノ」が無い日本人を代弁した「心」なのです。

❝つまり、「保守思想」なのですが、どうであれ「右翼」か「ウヨク」は生まれやすい下地があり、団塊世代のカウンターとして団塊ジュニアが存在し、「悟り世代」に連なります。「心」が優位になります。「モノ」優位の疚しさに耐えきれなくなった層にマッチしたのが、赤貧球団広島カープであり、無いものは無いが、無くとも「3倍練習して1番になれ」の球団です。「精神性」優先「心」の球団なのです。「保守的」に考える人たちに支持されるのが「赤貧球団広島カープ」であり、「左翼的」に考える人たちに支持されるのが「勝てば官軍球団読売巨人」となります。❞

「精神性」優位である広島球団こそが日本的である。広島的清貧は歴史と伝統の球団にマッチしている。これは揺るがない。日本の歴史の中で、豊かであった時代はほぼ無い。日本人は貧しいながらも、誇り高く、慎ましく生きたのだから。





「物質性」読売球団と「精神性」読売ファン


-髭が生えているから紳士ではない-

スマートで無く足が遅いから読売的で無いという価値観はつまり、「精神性」無視で上っ面ばかりの「物質性」重視の「似非紳士」を体現している所作である。だからこそ、それは「勝てば官軍」を貫ける似非サムライであったりもするからこそ。そして、それでこその読売なのだから、

「髭が生えているから「紳士」ではないが、しかしながら、剃れば「紳士」である」

などと言った「物質性」で判断し馬鹿げた妄言を繰り返す。そして、そのような事にも疑問も覚えず、選手各々の何たるかを無視し続け、なおかつ「物質性」優位な価値観を戦後日本に喧伝し続ける事の担い手であり、それらを支持し続けるメイン層が「精神論」大好き団塊以上と言う矛盾をはらむ読売球団、旧媒体代表読売。

真に、歴史と伝統のある球団と自負し、「紳士たれ」を貫きたいならば、リベラルスポーツメディア自体がブレブレに喧伝するスポーツ精神論と本来日本に根付いていた精神性をごっちゃまぜにする事無く、日本かくあるべきを踏まえてこその紳士球団読売巨人とはならないだろうか。


-ただ、爺の意見も必要-

広岡達朗氏「お立ち台で巨人の選手が泣く?アホじゃないか」
❝連敗が13で止まった時には、スタッフまでが泣いていたと聞くじゃないか。あり得ない話。巨人軍では“勝って当たり前”の教育をしていたが、今は手当たり次第に選手をよそから引き抜いてくるから、そういう伝統もなくなった。プライドがなくなったから、たまに勝って大喜びをしている。アホですよ❞


張本爺にも言えるけれども、こういう爺はやはり必要だとは思う。

勝てば官軍、勝つ事だけが正義でその為にはなんでもござれの読売巨人であり、それを支持し続け、そして、その事に対しても無批判であり疑問にすら思わず、弱小球団を腐すスタイルをとり続けてきたのが読売ファンでもあったりするから、やはり、それも日本的とは思えず美しくも無い。

勝てば官軍と言う発想自体、なんども言うが日本的ではなく、日本とはなんぞや?日本における伝統、歴史ある球団として、かくある姿は?と追求したならば、今まで通りの読売巨人軍を全否定していくべき。

勝てばなんでも良いを続けた結果が現在あり、勝つだけで良いなら、それは全くもって普通の発想であり、普通のチーム。しかしながら、読売は紳士のチームであるから、当然、球団とファンにも騎士道由来のジェントル。つまり、日本においては武士道由来でしか考えらえない、紳士を求めていきたい。

当然ながら、球団とファンも武士道精神を追求し続けた上で紳士であると吹聴すべきで、そして、あらゆる毀誉褒貶も潔く受け入れ、言い訳もせず、驕らず、相手にも敬意を払い、「惻隠の情」を持つ等、徳目の面においても高い意識を持って頂きたい。そして、それでこそ、伝統ある日本の球団読売であり、それこそソフトバンクであってはいけないし、リトルソフトバンクであったなら何をかいわんやで、そうであるべきでは無い。

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「巨人軍」とは「perfume」である。「勝てば官軍」とは「心のスポーツ」である。
❝「紳士たれ」とは「神道」「武士道」の精神から由来しています。当然「紳士たれ」とは、本来「道」であり「心」「精神性」「過程が全て」の事なのですが、「常に強くあれ」「アメリカ野球に追いつき、そして追い越せ」とのギャップを感じます。「常に強く」「追いつき追い越せ」は「結果」の話をしています。「スポーツ」として考えれば正しいのですが、上述の「紳士」とは「道」と対極であります。❞





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