さぁ、反撃の時間だ!すべては、この時のために ~TBS暗黒時代の終焉~ 備忘録 5/10更新
2018/05/10更新
The Last Pieces for New Season VICTORY is within US. 勝利は、我らの中にある。
2018年、横浜DeNAベイスターズのチームスローガン。
素晴らしい一年だった2017年シーズン。
しかし、何かが足りなかった。
そこでパズルのラストピースを揃えることにした。
新たに獲得した選手たち。
そしてYOKOHAMAと共に闘う証として
「Y」をキャップに掲げる。
さあ。
共に闘おう。
頂点を目指し。
http://www.baystars.co.jp/newcap2018/
・練習しない横浜
・意識の低い横浜
・球界関係者、OBからも苦言
▶さぁ、反撃の時間だ!すべては、この時のために
・横浜が暗黒期から抜け出した瞬間
・2017/07/01巨人vsDeNA 11回戦
駄目な時は、なにをやっても駄目なものだ。そして、あることないこと言われる。それにしても多い。
ただ、自分の記憶と照らし合わせても違和感もないから、その通りなのだろう。

村田、内川www後にセパ盟主の4番をも任される選手である。
工藤公康.....現ソフトバンク監督 通算224勝142敗 防御率3.45
「横浜の選手は練習しない」
多村仁.....現解説者 言わずと知れたスペランカー ※通算195本塁打 打率.281
「横浜時代は走り込んだことがなかった」
※スペランカーについて http://2chart.fc2web.com/supetamu.html
寺原隼人
「横浜では終盤は全てが終わっていたので、なかなかモチベーションが上がらなかった」
「横浜を出てよかったのかもしれない」
「一人ひとりの選手が自分に投資して、鍛えることが少ないのでは、と感じた」
古木克明....退団後格闘家へ転身 通算60本塁打 打率.247
「(横浜在籍時から移籍希望があり)練習も身に入らなかった」
「横浜では熱くなれない自分が嫌だった」
関連記事:
相川亮二
「(ヤクルトの練習に関して)横浜はここの半分ぐらい」
「(ヤクルトに移籍して)構えたところにボールが来ることに感動した」
鶴岡一成
「(巨人の練習に関して)一軍の選手がこんなに練習するもんだとは知らなかった」
「(巨人に移籍して)このチームに来て初めて勝つための練習をした」
佐伯貴弘....2011退団 通算156本塁打 打率.277
「(中日の練習に関して)キツイキツイと聞いていたがやってる練習は(横浜と)全然違う」
種田仁.....元指導者 通算71本塁打 打率.264
「横浜は 中日に比べれば正直ぬるい雰囲気のチームでした。野球をしているときとそうじゃないときの差があまり感じられない集団でした。練習でも試合でもなんとなく始まってなんとなく終わるというか」
橋本将.....FA移籍も翌年退団 通算44本塁打 打率.234
「やっぱり(横浜への移籍は)間違いだった。」
「みんながやりたい放題。こんなチームがあったのか、と思った」
「試合中にベンチにいる選手が少ない」
「ありえないことが当たり前になっていた」
▶目次にもどる
門倉健.....現解説者 通算76勝82敗 防御率4.36
「(野球少年達に)みんな、プロになりたいんだろ。チャンスはあるよ。でも、横浜はやめとけよ」
仁志敏久....現解説者 通算154本塁打 打率.268
「どんどん自分が横浜に染まっていってしまっている気がする」
「ここにいると、自分までダメになる」
「最下位で学ぶことはない」
野口寿浩.....通算42本塁打 打率.250
「俺が出ないと勝てないとも思った」
スレッジ.....ラミレス獲得をうけ退団 通算96本塁打 打率.263
「12球団で1番楽と聞いている」
「(日ハムに復帰して) 稲葉さん、金子さん、賢介をはじめ、チーム全員が勝つためにやっている。意識の高いチームに戻ることができて良かったと思います」
カスティーヨ.....退団後ロッテ移籍 通算24本塁打 打率.271
「シーズン中盤になって勝利への意欲がなくなると、みんな個人プレーに走ってしまった」
バルディリス.....15年退団 通算93本塁打 打率.268
「横浜時代は精神的に大変だった」
「オリックスで4年間の選手生活をするときは良かったが、横浜では監督と打撃コーチが打撃フォームを多く変えとして良くない結果を生んだ。横浜では私の背中を支える選手もいなかった。」
▶目次にもどる
伊東勤
「どうして横浜は寺原を放出したのかわからない」
某セ・スコアラー
「どこのチームも(横浜戦)22試合で15勝前後を計算している。ウチだけ負けるわけにはいかないから」
古田敦也
「(鶴岡放出について)上位を狙うなら経験豊富な捕手は不可欠で、未熟な捕手で上位進出した前例だけはプロ野球史上皆無。そういう意味で今シーズンのベイスターズは厳しいですね」 」
落合博満
「巨人だったらオレンジのタオルを振り回しながら勝利の喜びを分かち合う。阪神ファンなら六甲おろしを歌いながら阪神電車で帰る。 神宮だったら傘を上下に振りながら東京音頭を歌う。中日なら燃えろドラゴンズ、広島だって♪勝った勝った…てのがありますよね。ファンの人にあれをやってもらうのが最大のファンサービスなんですよ。 あれ、横浜って何かありましたか?」
権藤博(1998年横浜ベイスターズ監督 38年ぶり優勝)
「同じプロでシーズン1勝2敗ペースなんて考えられない。負ける悔しさなんて通り越してるでしょ?これが俺が見てきたチームなのか」
高木豊
「横浜のキャンプを見に行ったら、帽子は取っているわ、スパイクを履いてないやつはいるわ、で、もうだらだらでしたから。」
「(中畑)監督言わく、黒羽根が良くなったが、嶺井というルーキーのリードが一番いいのではないかと想像して語ってくれたが、まだ1試合もマスクをかぶってなく、それは分からないだろ?と思いながら耳を傾けたが、相変わらず監督は決めつけが激しい(笑)」
高田繁GM
「打線をいじって何とかなる状況じゃない」
吉見祐治....44勝62敗 防御率4.84
「(ロッテに移籍して)久しぶりに野球をしていて嬉しいという感情を思い出した」
石井琢朗.....通算102本塁打 358盗塁 打率.282
「横浜から戦力外を受ける際、球団からコーチの要請は一切なかった」
盛田幸妃
「(2位阪神に逆転勝ち)横浜昨日もやりましたね。慣れました、プロ野球界の迷惑にならないようにお願いします。」
......つまり、皮肉を言っている。シーズン前半、散々負けといて、ここに来て優勝争いを終わらせるような勝ちは迷惑。勝つならシーズン序盤から勝てよ、という気持ちを表している。
中野渡進
「(順位予想について)横浜が最下位なことだけは間違いねぇよ。それ以外は知らねーよ。」
「うち(モツ鍋屋)に来るベイスターズファンも春先には『いっつもボロクソに言うけど、今年こそ行けますよ!』、『ついに予想が外れましたね!』なんてはしゃいでたけど、あいつら来なくなっちゃったな」
渡辺直人
「グラウンドは野球をやるところ。みんなの練習が終わってからやるならまだいいけど、周りが野球をやっているときにサッカーをやるのはおかしいと思う。楽天だったら、ぶちのめされているよ」
「普通、先輩が来たら緊張したり姿勢を正したりするでしょう? (横浜は)それもないんだから……」
キャンプ、那覇空港到着後、預けた荷物が出てくるのが遅く、到着ゲートをくぐった時には地元の歓迎式典も終わり、さらにチームバスも出発してしまっていた。ひとり寂しくタクシー移動
「こんなの初めて。置いていかれたことなんてないよ」
藤田一也
「まさか優勝を味わえるなんて思っていなかった。本当に楽天に来てよかった」
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冒頭の内川と村田の表情が物語っている。
2008年には、右打者歴代最高打率.378と46本塁打、打率.323のふたりがこの表情である。
野球をプレーする事が初めてつまらなく感じてしまったのではないのか。
このふたりの選手を引き留める事は、当時の横浜にはできない。
その後、移籍先のセ・パ両リーグの盟主球団で4番打者に座った時には悔しい反面、嬉しくもあった。
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横浜が暗黒期から抜け出した瞬間
2011年シーズン東京ドームで迎えた最終戦
村田の2発で新人・沢村の防御率1点台を阻止するなど、勝ちゲームを展開も、9回裏に入ると、渡辺に替え、怪我でスタメン落ちしていた石川内野手をいわゆる“守備緩め”としてショートに起用。
直後の守備機会に恒例である痛恨のエラー。
さらに、山口のフィルダースチョイスなどで無死満塁というお得意のドタバタ劇。つづく、長野に投じたボール気味の高めの直球を強く叩かれ、巨人ファンの待つライトスタンドへ。
ドタバタ劇から、ピンチを拡大させ、代打長野に逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれる、見事な爆死っぷり。
これほど、“暗黒横浜”らしい負け方を見た事ないくらいの派手な終幕であった。
敵地、東京ドーム最終戦の9回裏に、ベイス☆ボールの醍醐味を混じりけなしに濃縮したような試合であった。
そして、これがTBSベイスターズとして、最終戦となるのである。
2011年が横浜ベイスターズとしての最終年となったが、この年までに10年連続勝率5割未満、Bクラス9回(最下位8回)、4年連続最下位という成績を残す。
横浜ベイスターズ暗黒期とはTBS時代の事を指すのである。
あれから、6年後の7月、東京ドームに横浜DeNAベイスターズとして乗り込み、忘れてきた意地と誇りを取りもどす為に戦っていた。2死満塁、桑原の打席.....。
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2017年07月01日東京ドーム 巨人vsDeNA 11回戦 4-6
責任投手/本塁打
勝利投手
[ DeNA ] 加賀 (2勝0敗0S)
敗戦投手
[ 巨人 ] カミネロ (0勝3敗15S)
セーブ
[ DeNA ] 山崎康 (1勝1敗10S)
本塁打
[ DeNA ] 桑原6号(1回表ソロ)、桑原7号(9回表満塁)
[ 巨人 ]
バッテリー
[ DeNA ] 石田、三上、加賀、山崎康 - 戸柱
[ 巨人 ] マイコラス、高木勇、森福、西村、カミネロ - 小林
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サイトマップ -横浜DeNAベイスターズ-
サイトマップ -プロ野球-
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The Last Pieces for New Season VICTORY is within US. 勝利は、我らの中にある。
2018年、横浜DeNAベイスターズのチームスローガン。
素晴らしい一年だった2017年シーズン。
しかし、何かが足りなかった。
そこでパズルのラストピースを揃えることにした。
新たに獲得した選手たち。
そしてYOKOHAMAと共に闘う証として
「Y」をキャップに掲げる。
さあ。
共に闘おう。
頂点を目指し。
http://www.baystars.co.jp/newcap2018/
目次
▶暗黒TBS横浜退団後コメントまとめ・練習しない横浜
・意識の低い横浜
・球界関係者、OBからも苦言
▶さぁ、反撃の時間だ!すべては、この時のために
・横浜が暗黒期から抜け出した瞬間
・2017/07/01巨人vsDeNA 11回戦
暗黒TBS横浜退団後コメントまとめ
駄目な時は、なにをやっても駄目なものだ。そして、あることないこと言われる。それにしても多い。
ただ、自分の記憶と照らし合わせても違和感もないから、その通りなのだろう。

村田、内川www後にセパ盟主の4番をも任される選手である。
練習しない横浜
工藤公康.....現ソフトバンク監督 通算224勝142敗 防御率3.45
「横浜の選手は練習しない」
多村仁.....現解説者 言わずと知れたスペランカー ※通算195本塁打 打率.281
「横浜時代は走り込んだことがなかった」
※スペランカーについて http://2chart.fc2web.com/supetamu.html
寺原隼人
「横浜では終盤は全てが終わっていたので、なかなかモチベーションが上がらなかった」
「横浜を出てよかったのかもしれない」
「一人ひとりの選手が自分に投資して、鍛えることが少ないのでは、と感じた」
古木克明....退団後格闘家へ転身 通算60本塁打 打率.247
「(横浜在籍時から移籍希望があり)練習も身に入らなかった」
「横浜では熱くなれない自分が嫌だった」
関連記事:
相川亮二
「(ヤクルトの練習に関して)横浜はここの半分ぐらい」
「(ヤクルトに移籍して)構えたところにボールが来ることに感動した」
鶴岡一成
「(巨人の練習に関して)一軍の選手がこんなに練習するもんだとは知らなかった」
「(巨人に移籍して)このチームに来て初めて勝つための練習をした」
佐伯貴弘....2011退団 通算156本塁打 打率.277
「(中日の練習に関して)キツイキツイと聞いていたがやってる練習は(横浜と)全然違う」
種田仁.....元指導者 通算71本塁打 打率.264
「横浜は 中日に比べれば正直ぬるい雰囲気のチームでした。野球をしているときとそうじゃないときの差があまり感じられない集団でした。練習でも試合でもなんとなく始まってなんとなく終わるというか」
橋本将.....FA移籍も翌年退団 通算44本塁打 打率.234
「やっぱり(横浜への移籍は)間違いだった。」
「みんながやりたい放題。こんなチームがあったのか、と思った」
「試合中にベンチにいる選手が少ない」
「ありえないことが当たり前になっていた」
▶目次にもどる
意識の低い横浜
門倉健.....現解説者 通算76勝82敗 防御率4.36
「(野球少年達に)みんな、プロになりたいんだろ。チャンスはあるよ。でも、横浜はやめとけよ」
仁志敏久....現解説者 通算154本塁打 打率.268
「どんどん自分が横浜に染まっていってしまっている気がする」
「ここにいると、自分までダメになる」
「最下位で学ぶことはない」
野口寿浩.....通算42本塁打 打率.250
「俺が出ないと勝てないとも思った」
スレッジ.....ラミレス獲得をうけ退団 通算96本塁打 打率.263
「12球団で1番楽と聞いている」
「(日ハムに復帰して) 稲葉さん、金子さん、賢介をはじめ、チーム全員が勝つためにやっている。意識の高いチームに戻ることができて良かったと思います」
カスティーヨ.....退団後ロッテ移籍 通算24本塁打 打率.271
「シーズン中盤になって勝利への意欲がなくなると、みんな個人プレーに走ってしまった」
バルディリス.....15年退団 通算93本塁打 打率.268
「横浜時代は精神的に大変だった」
「オリックスで4年間の選手生活をするときは良かったが、横浜では監督と打撃コーチが打撃フォームを多く変えとして良くない結果を生んだ。横浜では私の背中を支える選手もいなかった。」
▶目次にもどる
球界関係者、OBからも苦言
伊東勤
「どうして横浜は寺原を放出したのかわからない」
某セ・スコアラー
「どこのチームも(横浜戦)22試合で15勝前後を計算している。ウチだけ負けるわけにはいかないから」
古田敦也
「(鶴岡放出について)上位を狙うなら経験豊富な捕手は不可欠で、未熟な捕手で上位進出した前例だけはプロ野球史上皆無。そういう意味で今シーズンのベイスターズは厳しいですね」 」
落合博満
「巨人だったらオレンジのタオルを振り回しながら勝利の喜びを分かち合う。阪神ファンなら六甲おろしを歌いながら阪神電車で帰る。 神宮だったら傘を上下に振りながら東京音頭を歌う。中日なら燃えろドラゴンズ、広島だって♪勝った勝った…てのがありますよね。ファンの人にあれをやってもらうのが最大のファンサービスなんですよ。 あれ、横浜って何かありましたか?」
権藤博(1998年横浜ベイスターズ監督 38年ぶり優勝)
「同じプロでシーズン1勝2敗ペースなんて考えられない。負ける悔しさなんて通り越してるでしょ?これが俺が見てきたチームなのか」
高木豊
「横浜のキャンプを見に行ったら、帽子は取っているわ、スパイクを履いてないやつはいるわ、で、もうだらだらでしたから。」
「(中畑)監督言わく、黒羽根が良くなったが、嶺井というルーキーのリードが一番いいのではないかと想像して語ってくれたが、まだ1試合もマスクをかぶってなく、それは分からないだろ?と思いながら耳を傾けたが、相変わらず監督は決めつけが激しい(笑)」
高田繁GM
「打線をいじって何とかなる状況じゃない」
吉見祐治....44勝62敗 防御率4.84
「(ロッテに移籍して)久しぶりに野球をしていて嬉しいという感情を思い出した」
石井琢朗.....通算102本塁打 358盗塁 打率.282
「横浜から戦力外を受ける際、球団からコーチの要請は一切なかった」
盛田幸妃
「(2位阪神に逆転勝ち)横浜昨日もやりましたね。慣れました、プロ野球界の迷惑にならないようにお願いします。」
......つまり、皮肉を言っている。シーズン前半、散々負けといて、ここに来て優勝争いを終わらせるような勝ちは迷惑。勝つならシーズン序盤から勝てよ、という気持ちを表している。
中野渡進
「(順位予想について)横浜が最下位なことだけは間違いねぇよ。それ以外は知らねーよ。」
「うち(モツ鍋屋)に来るベイスターズファンも春先には『いっつもボロクソに言うけど、今年こそ行けますよ!』、『ついに予想が外れましたね!』なんてはしゃいでたけど、あいつら来なくなっちゃったな」
渡辺直人
「グラウンドは野球をやるところ。みんなの練習が終わってからやるならまだいいけど、周りが野球をやっているときにサッカーをやるのはおかしいと思う。楽天だったら、ぶちのめされているよ」
「普通、先輩が来たら緊張したり姿勢を正したりするでしょう? (横浜は)それもないんだから……」
キャンプ、那覇空港到着後、預けた荷物が出てくるのが遅く、到着ゲートをくぐった時には地元の歓迎式典も終わり、さらにチームバスも出発してしまっていた。ひとり寂しくタクシー移動
「こんなの初めて。置いていかれたことなんてないよ」
藤田一也
「まさか優勝を味わえるなんて思っていなかった。本当に楽天に来てよかった」
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冒頭の内川と村田の表情が物語っている。
2008年には、右打者歴代最高打率.378と46本塁打、打率.323のふたりがこの表情である。
野球をプレーする事が初めてつまらなく感じてしまったのではないのか。
このふたりの選手を引き留める事は、当時の横浜にはできない。
その後、移籍先のセ・パ両リーグの盟主球団で4番打者に座った時には悔しい反面、嬉しくもあった。
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さぁ、反撃の時間だ!すべては、この時のために
横浜が暗黒期から抜け出した瞬間
横浜が暗黒期から抜け出した瞬間 動画解説
2011年シーズン東京ドームで迎えた最終戦
村田の2発で新人・沢村の防御率1点台を阻止するなど、勝ちゲームを展開も、9回裏に入ると、渡辺に替え、怪我でスタメン落ちしていた石川内野手をいわゆる“守備緩め”としてショートに起用。
直後の守備機会に恒例である痛恨のエラー。
さらに、山口のフィルダースチョイスなどで無死満塁というお得意のドタバタ劇。つづく、長野に投じたボール気味の高めの直球を強く叩かれ、巨人ファンの待つライトスタンドへ。
ドタバタ劇から、ピンチを拡大させ、代打長野に逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれる、見事な爆死っぷり。
これほど、“暗黒横浜”らしい負け方を見た事ないくらいの派手な終幕であった。
敵地、東京ドーム最終戦の9回裏に、ベイス☆ボールの醍醐味を混じりけなしに濃縮したような試合であった。
そして、これがTBSベイスターズとして、最終戦となるのである。
2011年が横浜ベイスターズとしての最終年となったが、この年までに10年連続勝率5割未満、Bクラス9回(最下位8回)、4年連続最下位という成績を残す。
横浜ベイスターズ暗黒期とはTBS時代の事を指すのである。
あれから、6年後の7月、東京ドームに横浜DeNAベイスターズとして乗り込み、忘れてきた意地と誇りを取りもどす為に戦っていた。2死満塁、桑原の打席.....。
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2017年07月01日東京ドーム 対巨人
2017年07月01日東京ドーム 巨人vsDeNA 11回戦 4-6
責任投手/本塁打
勝利投手
[ DeNA ] 加賀 (2勝0敗0S)
敗戦投手
[ 巨人 ] カミネロ (0勝3敗15S)
セーブ
[ DeNA ] 山崎康 (1勝1敗10S)
本塁打
[ DeNA ] 桑原6号(1回表ソロ)、桑原7号(9回表満塁)
[ 巨人 ]
バッテリー
[ DeNA ] 石田、三上、加賀、山崎康 - 戸柱
[ 巨人 ] マイコラス、高木勇、森福、西村、カミネロ - 小林
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サイトマップ -プロ野球-
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