「継承」と「革新」 球界は新媒体球団が席巻する ~TBS暗黒時代の終焉 ネットからリアルを革新する~ 備忘録

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Bytake0606

2018/04/11更新

OUR TIME IS N.O.W. -すべては、この時のために-

“2017シーズンは、最終コーナーを曲がり、最後の直線。 ここまで100試合以上を越える闘いの中で味わった、 歓喜、涙、奇跡の勝利、屈辱の敗戦。 その意味が、ここからの闘いで決まる。 2017年の物語は、まさにクライマックス。 時代を変える、最後の1ヶ月。 OUR TIME IS N.O.W. すべては、この時のために。”
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以下、つづき



TBS式球団経営・編成

巨人戦放送権獲得の為の球団経営


 TBS時代とは、自軍より巨人が第一の銭勘定、または中日を悪役扱いにする読売代弁者としての面と、両面で読売を協力サポートする、巨人戦中継獲得のための買収とも言われている。

 逆に、DeNAとはトライ&エラーを繰り返し、チャレンジしている姿勢に見える。また、方針やプランの提示をメディアを駆使し、発信しているところにも好感が持てる。兎に角、TBSはマスメディアなのに下手糞だった。

男石橋が横浜ファンに


 2005年から、エグゼクディブ・アドバイザーに石橋貴明(とんねるず)が任命され、石橋の意向で、横浜スタジアムの可動席前(一・三塁付近)にあったネットが撤去される。

選手とファンとの距離感が縮まり、試合前や勝利時には選手とのコミュニケーションがとりやすいように工夫される。この付近の席は人気が集中したため、2006年からFA席・FB席新設という形で事実上のチケット値上げが行われた。

ソフバン・巨人の4番を揃えるが


 2008年横浜打線は、右打者歴代最高打率.378の内川聖一と46本塁打、打率.323の村田修一と後にセパ盟主での4番打者を揃え、なお、当時売り出し中の吉村裕基が本塁打34の純国産、破壊力抜群クリーンナップであったが、チームは48勝94敗2分 勝率.338と、親の仇かのような勢いで負けまくる。

 現在、この3名が横浜に居ないの言うまでもありません。いわゆる、“横浜を出る喜び”の誕生です。


猛攻 2008年7月6日 対横浜9回表 “横浜を出る喜び”

驚異の炎上投手力


 球は投手と言う事になります。10点取っても、15点取られる試合など投手陣が大炎上。二桁投手もなく、最高勝利数7では勝負にならない。
 
 逆に二桁負け投手が3人では、結果は自ずとついてくる( ;∀;)

 チーム防御率4.74ですから順当と言えますが...

2008年主な先発投手陣成績
三浦大輔投手
21試合 7勝10敗 防御率3.56
那須野巧投手
22試合 5勝12敗 防御率6.47
ウッド投手
26試合 3勝12敗 防御率4.69
小林太志投手
31試合 6勝5敗1S 防御率4.41
吉見祐治投手
41試合 3勝6敗 防御率5.30

 因みに抑えの寺原は2006年オフ、多村とのトレードにより横浜に在籍

41試合 3勝9敗22セーブ 防御率3.30

 上述のウッド投手は26回先発して3勝しか出来ない助っ人先発投手。このクラスの投手を「試合はつくる事ができる」「5回まで投げる事ができる」と本気で有り難がる位低迷していました。

 試合をつくる事ができると言っていますが、発言位ポジらないと、気持ちが維持できなかったのだろうと考えられますね...( ;∀;)なける...ヨコハマ

不可解な補強(補弱)

エピソード1


1.多村放出で寺原獲得するも、ある程度結果を出していたのにかかわらず、

2.寺原で山本省を獲得に怒り。

3.なお、山本省で多村を獲得の謎輪廻。


エピソード2


1.吉村台頭により小池を中日へトレード。中日からはサイレントKこと石井裕也獲得。

2.なお、2010年石井は江尻慎太郎とトレードで日ハムへ。

3.そして、2011年、小池をFAにより、呼び寄せる謎リリース&キャッチ。

4.なおも、吉村は江尻とエピソード1の山本省とともに、エピソード1の多村獲得の為にセットでトレード。


.....などなど。のちに謎補強(補弱)あるある増量するかもしれません。


弱小横浜ファンの楽しみ方

セイバーメトリクスも下園から


 ノアイでポジれるのも横浜ファンならでは。下園選手の選球眼のみでポジってた暗黒時代。ただ、セイバーメトリクスの理解も下園のお陰もあるかもしれない。「セイバーメトリクスに愛された男」とは下園辰哉の事である。


いや、イケメンですわ( ;∀;)なける...


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弱小球団あるある


・新聞スポーツ欄で試合結果よりも先に個人の打撃成績見る。ファンですら個人競技となってしまう横浜ファン。
・「球場に足を運びやすい」などと弱さを正当化する。
・ベ・リーグなどと勝手に命名し自虐。

 ...一球団だけぶっちぎり最下位だったから、セリーグは5球団だけでリーグ戦をして、横浜はベ(イスターズ)リーグと別リーグ扱い、という皮肉。

例.
横浜居ない2

・負けが込んで暗黒ヅラし出した他球団ファンが許せず、上から目線での不幸自慢。
.....などなど。のちにあるある増量するかもしれません。...( ;∀;)なける...ヨコハマ

TBSからDeNAへ

アナログ球団からデジタル球団へ



2011年末、DeNAは横浜ベイスターズを買収した。新たに参加したスタッフは、そのアナログ運営ぶりに戸惑った。メールでさえ、ほとんど使われていなかったのだ。
DeNAtoTBS.jpg
 
 TBSの旧態依然とした姿には閉口するしかない。

 まだ、結果が出ているなら、問題も無いとも思うが、そうでないなら過去の成功体験から抜け出せない、如何にも旧媒体然とした姿と言える。ベイスターズを近代化させたDeNAの功績は大きい。

観客動員を伸ばす



――3年間で現場の意識が変わったということですが、決め手は何だったのでしょうか。
 結局は、目に見えてお客さんが増えたことだと思います。
 球団スタッフにとっても、選手にとっても、球場のスタッフにとっても、これはとにかくうれしいことです。何の説明も要りません。2014年シーズンは、大入り(球場キャパの、ほぼ9割が埋まっている状態)が23回ほどありました。
――主催ゲームは72ゲームでしたから、その約3分の1が大入りだったということですね。戦略の組み立て方は?
 初年度(2012年)は買収してからすぐにシーズンが始まってしまいましたので、まさに手探りでした。とにかく話題になることをゲリラ的にやりましたが、振り返ってみれば、大半は参入初年度だから臆面もなくやれたことでしたね。
 ちょっとおどろおどろしいデザインのポスターを作ったときなどは、街の景観に合わないという理由で、横浜市からバス停への掲示を止められたりもしました(苦笑)。
――これからやってみたいことは。
 街づくりです。球団と横浜の街のイメージがシンクロしているようになっていければ、と考えています。例えば、ボストンと言ったらレッドソックス、シカゴと言ったらカブスを連想しますよね。
 でも、現状は横浜からベイスターズはなかなか連想してもらえません。
 実は、「横浜」という都市のブランドイメージ調査もやってみたのですが、おしゃれな街、港の街、国際的、といったイメージは持っていても、プロ野球団の本拠地がある街、という回答は上位には出てこなかったんです。

(池田純) 1976年1月生まれ。神奈川県横浜市出身。早稲田大学商学部卒。住友商事、博報堂を経て2007年1月DeNA入社。2009年4月執行役員マーケティングコミュニケーション室長就任。2010年4月NTTドコモとDeNAの合弁会社エブリスタ社長を経て、2011年12月から現職

継承と革新


 売り騒動時、DeNAの名前が紙面を踊り、正直、「やりたい放題めちゃくちゃしまくり、散々売名され吸い尽くし、うま味がなくなればポイ捨てされる」と思っていた。が、真摯に横浜とも球団とも向き合っている。今じゃ足を向けて眠れない気持ちでもある。

 そして、伝統を重んじながら、なお改革していこうとする姿勢が見てても伝わるから、球団自体にも協力したくなるし、応援したくなる。観客数が増加するのも自然な事とも言える。

 正直、数年くらいでスマホゲーム人気が終焉し潰れると思っていたから、DeNAに対する見方が完全に変わった。

 当然、ベイスターズ買収による、宣伝効果も考えての事であり、DeNAよりもSNS色が強かったグリーが虫の息の現状を見ると、買収してなかったら苦しくなっていた筈だし、消えている可能性すらあったかもしれない。

 グリーはあくまでSNS、ゲーム事業メインでイメージ刷新すら考えてはいないフシがある。が、DeNAは球団経営を中心にリアル事業でも様々な展開を目指してる。リアル事業自体にも問題は確かにあるが、DeNA本業の「継承」と「革新」も見守りたい。

サイトマップ -横浜DeNAベイスターズ-

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